【花田優一コラム】イタリアで遭遇した強盗事件 号泣する女性…あらためて感じた“性別の違い”

靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第5回は、自身のイタリアでの体験をもとに、性別と平和について考える。

性別の違いを訴える花田優一【写真:荒川祐史】
性別の違いを訴える花田優一【写真:荒川祐史】

第5回は自身のイタリアでの体験をもとに「性別と平和」を考える

 靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第5回は、自身のイタリアでの体験をもとに、性別と平和について考える。

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 ウクライナ侵攻のニュースも、政治情勢や戦況に加え、現地の市民の情報なども目に入るようになってきた。「ロシア軍に子供を殺害されたウクライナ女性が入隊」という記事を読んで、戦時下での女性や子どもの現実は、心痛では片付けられないような気持ちになる。

 混沌の時代であれ、平和な日々の中にあっても、そこには必ず性別が関わる歴史的事実がある。しかしながら、今回はその歴史をまとめるのではなく、身の回りで起こる等身大の「性別と平和」の関わり合いについて書いてみる。

 2022年の今、性別に限らない多種多様の生き方が重要視されるようになってきた。時代の変化と共に、人の価値観も変革され、なるべく多くの人権が認められる必要がある。

 僕には妹が2人いて、22歳と20歳である。少女から女性へ、着実に大人への階段を登っているわけだが、兄としては今も、幼稚園に通っていた幼い頃のままに見えてしまうのだ。しかしながら、それは単なる親心のようなものであり、2人の妹は成人としてそれなりに、それぞれの思想を強く持ち合わせるようになっている。

 2002年生まれ、20歳の妹ともよく会話をするのだが、彼女の未来目標図において特に強く力説されるのは、「男性に頼らずとも一人で生きていけるような、強い女性でいたい」ということだ。実に素晴らしい心掛けであり、幼少からの家庭環境を含めそう思うのも必然だろうとも考える。それに加えて「強い女性」というあり方は、経済的な部分のみで形成されるわけではないということをしっかりと、兄の私に説明できていることにも感心している。

 そんな妹に、僕がイタリアに住んでいたときに遭遇した事件と共に、「どんなに強い女性でも、男性の筋力には負けてしまうから、気をつけるように」と話すことがある。

 その日、深夜2時を回った頃、僕はフィレンツェの自宅で靴づくりをしていた。トンカチをポン、ポンと叩きながら、少し窓を開けて作業をしていたのだが、突然、女性の叫び声とともに鈍く大きな音がした。何事かと思い、ベランダの窓から見下ろすと、白人女性の上にまたがり、2メートルもありそうな体の大きな男性が馬乗りになり、口を押さえながら殴り、洋服を破っていた。その隙に、横から出てきたスカーフを巻いた女性たちが、白人女性のカバンを盗もうとしていた。

 当時18歳の僕は、一瞬足がすくみ、部屋の中に戻った。深夜2時の路地裏は、周りの住人は誰も起きておらず、僕しか“いない”ことは明白で、その上、僕の手はトンカチを持っていた。その間数秒のことであったと思うが、自分の命を懸ける覚悟を決め、近くにあった武器になりそうな靴づくりの道具を手に、階段を降りた。とりあえずアパート中のインターホンを鳴らし、住人を起こした上で、トンカチを2本持ち、「あああああああ!!!」と叫びながら、飛びかかった。すると、その軍団は声に驚いたのか、一斉に逃げていったのであった。

 足が震えている僕の目の前には、血だらけになりうな垂れた、若い女の子がいた。彼女は体中が震え、僕を見て吐き出すように泣いていた。

 警察を呼び、それまでの間アパートの階段で手当てをしながら、少しだけ話したのを覚えている。アメリカから来た留学生で、この日は友達が遊びに来ていて、いつもより遅くまで食事をしていたのだという。

 イタリアに可能性を探しに来たはずなのに、心に大きな傷を負ってしまった彼女を見て、僕は、どんなに強い女性でも男性の力には敵わない、と深く感じたのだった。

 留学に来ていた彼女も、きっとイタリアの文化を豊かに感じながら自分の人生を切り開いていくはずだった。だが、命の危機を感じたとき、人生の鮮やかさより、生きることの大切さを感じたと思う。

 平和だからこそ性別も多様化し、新しい人権を探し求めることができるはずなのだが、戦争のような殺し合いが起きれば、生きることが最優先になる。娯楽も豊かさも薄れ、衣食住を守り抜くことに精一杯になってしまうはずだ。

 戦える者は戦場に駆り出され、女性は子どもを守る義務を課される。そんな状況になったとき、「性別の多様化」や「女性の権利」など、議論できるほどの余裕があるのだろうか。

 平和を余裕とするならば、混沌は切迫である。余裕のない場所に新しいものは生まれず、切迫した世界には生死しか残らない。文化や思想、価値観というものは、命と精神の上に成り立つものであり、死を目の前にして育んでいけるものではないと考えている。

 ウイルスによって疲弊し、地震によって失い、戦争の恐怖に苛まれるこの世界の中で、僕は平和の儚さを感じている。

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