「同情がすごく悔しかった」 支援団体が明かす、知られざる在日ウクライナ人の本音

ロシアによるウクライナ侵攻を受け、国内でもロシア人やロシア文化に対する排斥の動きが広がっている。ロシアや東欧諸国との文化交流などを行う日本ロシア文化交流協会には、ロシアのウクライナ侵攻後、活動に批判的な声が殺到。ロシア人のみならずウクライナ人も多数在籍する同協会のメンバーは今、何を思うのか。都内にある同協会の事務所を訪ねた。

三池哲也代表【写真:ENCOUNT編集部】
三池哲也代表【写真:ENCOUNT編集部】

90年代後半にはゴルバチョフ書記長とも複数回対談

 ロシアによるウクライナ侵攻を受け、国内でもロシア人やロシア文化に対する排斥の動きが広がっている。ロシアや東欧諸国との文化交流などを行う日本ロシア文化交流協会には、ロシアのウクライナ侵攻後、活動に批判的な声が殺到。ロシア人のみならずウクライナ人も多数在籍する同協会のメンバーは今、何を思うのか。都内にある同協会の事務所を訪ねた。(取材・文=佐藤佑輔)

 三池哲也代表が同協会を設立したのは30年以上前。意外にも、もともとロシア文化に造詣があったわけではないという。

「若い頃はミュージカルなどむしろアメリカ文化にあこがれがあった。契機は1991年、あるイベント会社に転職した際に『今日からロシア担当ね』と言われたこと。初仕事の国内ツアー中にソ連が崩壊して、祖国に帰れないメンバーを大勢抱えたこと、ロシアの文化芸術のレベルの高さを目の当たりにしたことがきっかけでした」

 1995年、ロシア人女性との結婚を機に独立すると日本ロシア文化交流協会を設立。ロシアや東欧出身者向けの就労支援、バレエやサーカスなどの文化イベントの企画、日本とロシアの文化交流サロンの運営などを20年以上続けてきた。90年代後半には、つてをたどってゴルバチョフ書記長とも複数回対談。日本人に少しでもロシアを知ってもらおうと腐心してきた。

「ロシア人は親日な人が多いんですが、その原点は日露戦争。愛媛の松山に捕虜収容所があって、日本人はロシア人捕虜にも手厚く、外出を許したり市民と交流もあった。それが伝わり、戦場で白旗を揚げて『マツヤマ! マツヤマ!』と降伏するロシア兵もいたと聞きます。一方多くの日本人は、ロシアに対して怖い国というイメージと、北方領土という印象しか持っていない。ロシアという国をもっと知ってもらおうと活動を続けてきました」

 現在20人ほどのメンバーの中にはロシア人、日本人のスタッフの他、ウクライナ人も多く在籍している。今は表立った活動を行うと誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)が殺到するため、メンバー全員が集まる機会は多くないが、微妙な感情を抱きつつお互いの考えを尊重し合う。

「クリミア併合の8年前からずっとくすぶっていたことで、武力侵攻についても驚きはそこまでなかった。母国に家族がいるウクライナ人、祖母はウクライナ人というロシア人など、立場はさまざま。議論になることもありますが、それぞれの立場の違いを尊重して意見を取りまとめることはしていません」

 一方で、国内ではウクライナ支援、ロシア排斥の風潮が主流だ。ロシア文化やロシア料理が攻撃されたり、ロシア発信の情報はすべてフェイク扱いとされる一方、ウクライナに対しては憐憫(れんびん)の情をあおるような報道も多い。三池代表は、ロシアを絶対悪とする風潮や、ウクライナを必要以上に哀れむ論調にも疑問を唱える。

「両親と息子が戦闘地域から近いところにいるウクライナ人女性は、勤め先の飲食店で客から『大変だね』と同情されたときの言われようが、すごく悔しかったと話していた。何も知らないくせに、口先だけでと。日本が大好きで死ぬまで日本にいると話していたウクライナ人デザイナーは今、率先してデモの先頭に立っている。デモの資金源に彼の商品の販売も手伝っているが、チャリティーのようにはしないでくれと。ウクライナというだけで二言目には哀れむかのような風潮が、彼らのストレスになっている部分もあります」

 ロシアを攻撃する感情も、ウクライナを哀れむ感情も、どちらも戦争終結のためにできることをしたいという正義感によるもの。三池代表は、気持ちがはやるこんな時こそ、表面的ではなく両国を知ることから始めてほしいと訴える。

「戦争が起こる理由も人の気持ちも単純じゃない。我々一般人にできることは、刹那的に攻撃したり哀れんだりするのでなく、両国の歴史を学んで、両国の主張に耳を傾けてそれぞれが考えることではないでしょうか」

 戦地の痛ましい情報に触れると、居ても立っても居られなくなるもの。こんな時こそ情報に振り回されることなく、落ち着いてみることも必要かもしれない。

次のページへ (2/2) 【写真】ゴルバチョフ書記長と対談する三池哲也代表
1 2
あなたの“気になる”を教えてください