“奇跡の復活”T-BOLANの「ラブソング」に迫る 森友嵐士が語る“愛の方程式”

ロックバンド「T-BOLAN」が、約28年ぶりとなる6枚目のオリジナルアルバム「愛の爆弾=CHERISH ~アインシュタインからの伝言~」をリリースした。タイトルに記された「愛」。1991年の大ヒットシングル「離したくはない」をはじめ、これまで彼らはさまざまな愛の歌を歌ってきた。全5回シリーズでお届けしているT-BOLAN・森友嵐士のロングインタビュー。今回はT-BOLANのラブソングに流れる「愛」について聞いた。

「愛」を語る森友嵐士【写真:塩見徹】
「愛」を語る森友嵐士【写真:塩見徹】

恋愛、家族、人生の光と陰…時間をかけて増えていった「愛の色数」

 ロックバンド「T-BOLAN」が、約28年ぶりとなる6枚目のオリジナルアルバム「愛の爆弾=CHERISH ~アインシュタインからの伝言~」をリリースした。タイトルに記された「愛」。1991年の大ヒットシングル「離したくはない」をはじめ、これまで彼らはさまざまな愛の歌を歌ってきた。全5回シリーズでお届けしているT-BOLAN・森友嵐士のロングインタビュー。今回はT-BOLANのラブソングに流れる「愛」について聞いた。(インタビュー・文=福嶋剛)

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――ずばり今回は「愛」についてお聞きします。最新アルバム「愛の爆弾=CHERISH」でも13曲の中に恋愛や家族愛、助け合いの愛、悼む愛など13通りのさまざまな「愛」が歌われています。

「みんなそうだと思うけど、生きている中で経験がすべての気付きの始まりで、歳を重ねていけば経験も増えていくと思うんです」

――つまり、それぞれの成長していく過程で思い描く「愛」も変わっていくと?

「俺は愛は変わっていくものではなくて、愛という種類が増えていくことなんだと思っています。90年代、20代の頃にT-BOLANで作った曲というのは、俺たちの青春時代から始まって恋愛の曲が多かった。昔インタビューで『恋愛ソングばかりですね?』ってよく聞かれたけど(笑)。わざとそこに照準を合わせて作っていたんじゃなくて、やっぱり恋愛に関することが一番アンテナに響いたからそれを書いていただけなんです。自分が生きている中で人と触れ合って感じること。痛みだって、喜びだって、迷いだってあったけど、あの時代、愛の種類でいうと恋愛が一番多かったんです。

 それから29、30の頃から十数年間、俺はのどの病気で歌を歌えなくなって、音楽を作っていない時代があった。あの頃俺は父親として子育てをしていたんだけど、例えば子どもの頃って親の愛情なんて『めんどくせえ』ってみんな思った時期があると思うんです。親の愛もいろいろあって、子どもに必要な愛の渡し方というのもあれば、気が付かないうちに親のエゴになってしまう愛もある。両方とも親にとっては良かれと思ってやっているんだけど、子どもたちは逆に受け取ることだってあるじゃないですか?」

――ありました。お節介だなっていつも思っていたり。

「そんな自分が、今度は親として子どもたちに『愛』を与える側になる。そこでようやく『ああ、あれは愛だったんだな』って気が付くんです。あのとき、受け取れなかった愛情を10年後、20年後にようやく受け取って自分の中の愛の種類が1つ増えた……もしあの頃に音楽を作っていたら、きっと子どもに対する愛の歌がたくさん生まれていたかもしれないですね。

 それからようやく歌えるようになったら、今度はバンドのメンバーの上野(博文)が病気で倒れてしまって。それも大きかったです。身近なところで大きな災害や事件、パンデミックなんかも起きて、そのたびに自分と向き合って、いろんな人との関わりから受け取る愛の数も今まで以上にたくさんありました。そこで自分の弱さや誰かの優しさにも気付いたりしましたし。だからもし今俺が紙に愛を描くとするならば、時間を経た分、その種類や色数も増えていて、色合いも深くなっているかもしれないですね」

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