加藤登紀子、ロシアによるウクライナ軍事侵攻に心痛 「地球を守るのは平和の力」

シンガー・ソングライターの加藤登紀子が11日、東京・日比谷公園で行われた東日本大震災追悼企画「Peace On Earth 311 未来へのつどい」に登場し、コロナ禍に生まれた新曲「声をあげて泣いていいですか」など3曲を披露した。東京電力福島第一原子力発電所の事故後に詩を書き始めた関久雄の詩を朗読した場面では、「誰とどんな未来を作っていきたいのか。新しい希望の力を育てていくことが大切」と呼びかけていた。

「Peace On Earth 311 未来へのつどい」に参加したシンガー・ソングライターの加藤登紀子【写真:西村綾乃】
「Peace On Earth 311 未来へのつどい」に参加したシンガー・ソングライターの加藤登紀子【写真:西村綾乃】

ベトナム戦争時に反戦歌として歌われた「花はどこへ行った」を歌唱

 シンガー・ソングライターの加藤登紀子が11日、東京・日比谷公園で行われた東日本大震災追悼企画「Peace On Earth 311 未来へのつどい」に登場し、コロナ禍に生まれた新曲「声をあげて泣いていいですか」など3曲を披露した。東京電力福島第一原子力発電所の事故後に詩を書き始めた関久雄の詩を朗読した場面では、「誰とどんな未来を作っていきたいのか。新しい希望の力を育てていくことが大切」と呼びかけていた。(取材・文:西村綾乃)

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 ステージでは2月24日にロシアがウクライナに対して始めた軍事侵攻にも言及。「20世紀は戦争と破壊の世紀と言われてきました。もう違う時代にしなくてはいけないよね。国と国は激突をしている場合ではなく、地球規模で抱えている困難を乗り越えるために、同じテーブルの上で対話を始めなくてはいけない。地球を守るのは平和の力」と力を込め、ベトナム戦争時に反戦歌として多くの人が口ずさんだ「花はどこへ行った」を力強く歌い上げた。

 加藤は亡くなった父・幸四郎さんが、終戦後に東京・新宿にロシア料理店と、1972年に京都にウクライナ料理店を開いており、現地から呼び寄せた料理人らと交流を持っていた経験を持つ。

 ライブの後にENCOUNTが行ったインタビューでは、86年から歌い続けて自身の代表曲でもある「百万本のバラ」について、「ラトビアの作曲家が作った曲に、グルジア(現:ジョージア)の画家ニコ・ピロスマニが女優に恋をしたという逸話を基に歌詞が生まれました。この曲は1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故後、誰も住めなくなってしまった故郷を思って歌われた曲でもありました。いま国を追われているウクライナの人々は身を切られる思いだと思います。早く落ち着いてほしい」と両国の平和を願った。

 東日本大震災と原発事故からの復興を支援している加藤は、追悼企画の1週間前にも福島県南相馬市を訪問。小高山同慶寺で収録したライブでは、津波で水没したピアノの演奏に合わせて歌うなど、被災地とのつながりを大切にしている。

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