「石にかじりついてでもこの場所に雇用を」 11年前、奇跡を起こした被災企業の挑戦
社史の代わりに当時の記録を残した再現ドキュメンタリービデオを制作
ようやくめどがつき、陸前高田にいた梧桐専務にすべての製品を物流拠点ごと移す計画を伝えた。東北縫製工場の社長を兼任していた梧桐専務は、拠点を移せば部下の仕事がなくなるとこれに猛反発。「いずれ復旧するのに、なぜ拠点を移すのか」「従業員の雇用はどうなるんだ!」。復旧状況の情報が入らない梧桐専務と大ゲンカの末に、すべての従業員の雇用を守ることを条件に計画を実行。社員全員が一丸となり、新年度2日前の3月30日、すべての商品の発送を終えた。陸前高田の電気が復旧し、工場が再開したのは、それから約3週間後の4月18日になってから。従業員はその年の夏にはほぼ全員が工場に戻り、11年がたった今も東北の拠点として操業を続けている。
15年には、社史の代わりに当時の記録を残した再現ドキュメンタリービデオを制作。外川社長や梧桐専務、辻社長など当事者が出演し、NHKの人気ドキュメンタリー番組をもじって「プロジェクトMAX」と題したものの、「完成度が高すぎてね(笑)。著作権に引っ掛かるので公開はできないんですよ」と笑う。
震災後には、復興のための拠点として工場敷地内に工事関係者用の宿泊施設を建設。文部科学省が進める「みんなの廃校」プロジェクトにも参画し、人口減少が進む三陸の廃校を物流センターとして有効活用するなど、産業復興と雇用創出に努めている。今年2月には、災害時に飲食物と比べて手に入りづらい携帯用衣類キット「IRUI」をリリース。さまざまな方面から、震災から学んだ経験を形に残す取り組みを続けている。
「陸前高田は今も震災前の姿には戻っていません。それでもインフラが復旧し、震災を経験した新しい街としてのベースはようやく整ってきた。うちは陸前高田では最大手の企業、石にかじりついてでもこの場所の雇用を守らないといけない。昨年3月撤去された岩手で最後の仮設住宅の跡地に、新しい物流センターを計画中です。震災前に戻ることはできなくとも、震災から学んだことを形に残していかないといけない」
震災から11年。陸前高田の街は、あの日を教訓とした新しい歩みを続けている。