【花田優一コラム】花田優一 靴は戦場に履いていくものではなく、遠くの誰かを幸せにするためのもの

戦争という惨劇の中で、必死に人の足を守り、生きるための商業を残した二人の偉人

 同じ時期にいた歴史に名を残す偉人といえば、新一万円札となる渋沢栄一だろう。その渋沢から支援を受けていたとされるのが、「製靴の父」と言われる西村勝三だ。日本で初めて靴工場を作った男であり、今私たちが当たり前のように西洋靴を履いているための、扉を開いた男と言っても過言ではない。

 クオリティーが最悪だった軍靴の受注を引き受け、何万足もの兵士の足を守った。そして、日本製靴という会社を設立した。それは正に、日露戦争直前の出来事であり、それが今のリーガルコーポレーションと変革していったのだ。現代のサラリーマンが当たり前のように履いているREGALの起源は、日露戦争に関わる歴史の中にあった。

 日本靴産業を促進させた偉人は数多くいたが、この二人だけでも、戦争によって日本の靴製造は進化していったことがわかるだろう。2022年に生きる僕でも目にする、小説家やブランドが、「戦争と日本靴産業」のテーマに当てはまるとは想像しなかった。戦争の中で靴産業を支えた彼らは、戦争という惨劇の中で、必死に人の足を守り、生きるための商業を残して行ったのだと思う。

 しかし、それは約130年前の出来事であり、今の現代ではそうであってはならないのだ。日本では、人は着物を脱ぎ洋服を着るようになり、魚を食べていた者は牛肉を食べるようになり、侍はまげを落とした時代である。130年がたった今、人は戦争をしてはならないことを学び、豊かさの中で文化を深めていくことを学んだ。平和が当たり前と思える人々は世界に増え、困窮した発展途上国を救うために進んできたはずだ。130年前、兵士を守るために靴が進化したのならば、130年後の今、人々を豊かにするために靴はあってほしい。彼らのような偉人にはまだまだ足元にも及ばないが、現代に生きる靴職人の端くれとして、戦場に履いていくものが靴なのではなく、遠くの誰かを幸せにするために歩く靴であってほしい。

 戦争が当たり前の世界で、必死に靴産業を守り抜いた大いなる偉人を知ったとき、平和が当たり前の世界にいる僕らは、現代まで続いた彼らの伝統文化を次に進めるため、平和を守り豊かな世界を育んで行かなくてはならないと、強く感じた。

 目の前で起きているわけでなくても、同じ地球で起きている惨劇ならば、日本にいても何ができるのだろうと少しでも行動を起こしていけば、止められるものもあるはずだと信じている。

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