【花田優一コラム】花田優一 靴は戦場に履いていくものではなく、遠くの誰かを幸せにするためのもの
靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第4回は、ウクライナの惨劇から考える「戦争と日本靴産業」。
第4回はウクライナの惨劇から考える「戦争と日本靴産業」
正直なところ、まん延防止策が延長されたと聞いても、今は重要なニュースだとは思えない。第二次世界大戦の虐殺地となった、ホロコースト追悼施設の横にあるテレビ塔に砲撃があったというニュースを見て、自分は第三次世界大戦の始まりを見ているのかと思った。
遠くないウクライナで起こる惨劇に心が痛み、生まれてから今日までの日々がどれほど幸せだったのかとひしひしと危機感を感じてしまう。教科書で学んだ「キューバ危機」のような出来事が連日のように情報として入ってくるこの日々に、社会人としても肝が縮むような恐怖と、関係ないとは到底言えない現実を、知っておかなくてはならないという義務感も感じている。
僕たち日本人も他人事ではないウクライナで起きる事実を、しっかりと理解したいと思い、多種多様の情報を探している日々である。様々な文化人や経営者がウクライナ侵攻について解説しているが、僕には政治や歴史の知識も足りない。しかしながら、靴を作って生活をし、このような時事コラムを持たせていただいている身として、「戦争と日本靴産業」をテーマに文章にしてみたいと思った。
戦争を起こす者を心底軽蔑し、絶対に起こしてはならないことは戦争である、と思っている者が、このコラムの執筆者であることを理解した上で、最後まで読んでいただければと思う。
日本において日露戦争の前後は、靴産業にとって非常に重要な時期であった。その中で興味深い二人の人物について書きたいと思う。
まず一人目が、森鴎外である。小説家としてよく知られる彼は、森林太郎という名の陸軍軍医であった。彼は、兵士のけがの多くの原因が靴であることに驚き、足に合わない軍靴を履くことによる弊害を医学的に記したのである。日露戦争後の1907年、軍医総監であった彼は、足の故障と靴との関係などをまとめた「足と靴」という冊子を、軍各所に配布したほどであった。西洋文化が欧米へ追いついていない中で、急激に靴の需要が増えた日本軍に対して、ドイツで医学を学んだ彼が、後世に名を残す文才を使い、医学的に靴について記していたことは興味深い事実である。