アントニオ猪木の付き人だった藤原組長がUWF移籍したワケ 今だから明かせる真相とは

ENCOUNTではレジェンドプロレスラーの“今”と“あの時”に迫るインタビュー連載「レジェンド直撃」をスタート。第1回は藤原喜明組長だ。新日本プロレスでアントニオ猪木の近衛兵を務め、UWF、藤原組など多くの団体で“関節技の鬼”として大活躍、72歳の今も現役選手としてマッチに立ち続けている。「俺にとって新日本プロレスとは猪木さん」と言い切る藤原組長が、なぜUWFに移籍したのか――? ついに真相が明かされた。

書類などが積まれた事務所で“あの時”を回想する藤原組長【写真:柴田惣一】
書類などが積まれた事務所で“あの時”を回想する藤原組長【写真:柴田惣一】

レジェンド戦士を直撃、藤原喜明組長【連載vol.1】

 ENCOUNTではレジェンドプロレスラーの“今”と“あの時”に迫るインタビュー連載「レジェンド直撃」をスタート。第1回は藤原喜明組長だ。新日本プロレスでアントニオ猪木の近衛兵を務め、UWF、藤原組など多くの団体で“関節技の鬼”として大活躍、72歳の今も現役選手としてマッチに立ち続けている。「俺にとって新日本プロレスとは猪木さん」と言い切る藤原組長が、なぜUWFに移籍したのか――? ついに真相が明かされた。(取材・構成=柴田惣一)

 ◇ ◇ ◇

――新日本プロレスの設立50周年記念大会(3・1日本武道館大会)でも、現役バリバリの選手たちに加わって、メインイベントに出場。72歳にして凄いことです

「参戦のお話をいただくと、ほとんどメイン。ありがたいことだし『恥ずかしくないファイトをしなくちゃ』と気合も入る」

――今も多くの団体のメインにエントリーされて暴れているが、やはり組長の原点は新日本プロレスですね

「新日本が旗揚げしたのが1972年3月6日の東京・大田区体育館大会。私が入門したのはその年の11月2日だった。デビュー戦が11月12日だったかな。和歌山の白浜だった」

――たった10日でデビューですか?

「そうそう。私も新日本とともに50周年ということか。でも新日本を離れたからな。まあ、私にとって『新日本=猪木さん』だし。猪木さんは79歳。俺ももうすぐ73歳になるわな」

――入門してすぐに猪木さんの付き人ですか?

「最初は(山本)小鉄さん。1年ほどして猪木さんについた。他の選手のかばん持ちは結構大変だったみたいだけど、猪木さんはそんなことはなかった。ただ『朝早く起こしてくれ』って。こっちは前の晩も練習やら試合はもちろん、洗濯やらの雑用もある。疲れていたから早起きはきつかった。毎朝、30分ぐらいかな、走る。『ああ、終わった』って思うとスクワット。俺たちは会場で、毎日嫌になるぐらいやっているんだよね。でも一緒にやらなくちゃいけない」

――合同トレーニングに加えて猪木さんと特別練習ですね

「そりゃそうだろ。俺が猪木さんの横で『こら、気抜くなよ』なんていえるわけない。考えてみたら、人の2倍、3倍、練習していたよな。そのおかげだな。俺のヒザはボロボロだよ」

――でも、猪木さんの付き人は選ばれた人ですよね。

「なんだかんだで、1984年にUWFに行くまで10年以上かな。途中から、佐山(聡=初代タイガーマスク)や(ドン・)荒川さんとか、2人で一緒にやったこともある。荒川さんは1週間でクビになったけど(苦笑い)」

――2人体制とはいえ、10年以上も外れなかったのは異例ですよね。というか、もはや若手選手ではないですよね。それだけ優秀な付き人で、猪木さんの意向もあったんでしょう。藤原さんにとって、猪木さんからも新日本からも離れることになったUWF移籍についてですが?

「猪木さんは『藤原の野郎、勝手なことしやがって』と思っているのかも知れないけど、そうじゃない。新日本のクーデター事件(1983年)があったじゃない。(埼玉)大宮大会だったかな。他の奴らがこそこそやっていた。ぎりぎりになって猪木さんが会場入りして『お疲れ様です』とあいさつしたら『お前もか?』といきなりだよ。何にもわからないから『え?』ってなるよな。そうしたら『とぼけんじゃねえ』だよ。その時は『なにを怒っているんだよ』と訳が分からなかったんだ」

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