古内東子が明かすラブソングの法則 時代に左右されない“ずっと大事にしてたもの”
デビュー10年目の青春の旅
周りから「ラブソングの女王」と呼ばれるようになり、デビューから10年くらいたった頃、「みんなが泣ける曲を書いてください」というリクエストが多くなって、自分の中から自然に出てくるものと周りから求められているものとのギャップが大きくなってしまった時期があり、少しだけお休みをいただいて1人でニューヨークに行きました。
そこでの3か月はとても刺激的でした。1人でご飯を食べたりお酒を飲みに行ったり、日本よりも気軽に好きなコンサートやミュージカルも楽しめたり、ふらっと立ち寄ったライブハウスでは有名なミュージシャンがカジュアルな服装でさりげなく演奏していたり、とにかく音楽がニューヨークで暮らす人たちのとっても身近な存在で、文化としての音楽がそこら中にありました。そんなのを見ていたら私ごときが何を気負って今まで音楽をやっていたんだって(笑)。学生の頃からずっと仕事をしてきたから、きっと遅い青春の旅だったのかもしれないですね。
そして今年デビューから30年目を迎えることができて、4年ぶりに完成させたオリジナルアルバム「体温、鼓動」は、これまでの私のキャリアを振り返るような全曲ピアノトリオによる作品に仕上がりました。
子どもの頃から常に私の中心にあったのがピアノでした。習い始めたのは8歳の頃でちょっと遅い方でしたね。もともと母がピアノを教えていて姉もずっとピアノを習っていたので、私もいつかは習うだろうという感じでごく自然な流れでした。
練習していくうちにモーツアルトやバッハみたいなテクニックが必要な演奏は私には向いてないなって気が付いて、あるとき、発表会に向けて曲を選んでいたらショパンの美しいメロディーに出会ったんです。「私はこっちを弾きたい」そう思って演奏したことがきっかけで、それからほんの少しですがマシに弾けるようになってきました。
でも子どもの頃から譜面を見て弾くのが本当に苦手でデビューしてからもしばらくはステージで弾き語りを披露するのも苦手でした。もちろん、曲を作るときはいつもピアノからスタートするので大切な楽器に間違いはないんですが、ライブになるとピアノも歌もちゃんとしなくちゃいけないと思ったらものすごく緊張してしまい、どちらも中途半端になっちゃいそうでいつも不安だったんです。
ようやく落ち着いて弾き語りができるようになったのはここ15年くらいで、多少ピアノの演奏がおぼつかいことがあってもピアノと歌を一つに捉えることですごく愛着を持って弾き語りできるようになりました。