今春に慶大卒の夢屋まさる、芸能界引退はブレーク中に決断「区切りとして達成感」
第一志望の企業に内定「芸人経験が生かせる業種です」
約20社にエントリーシートなどを送り、リクルートスーツを着て面接を受ける日々。芸人活動をしていることをシートに書いていたため、芸名を聞かれ、求められるがままネタを披露することもあったという。
「そりゃ、面接官の方は『えっ?』となりますよね。ただ、それを境に話は弾みました。芸人として数々のオーディションも受けていましたし、面接で緊張はしませんでした」
結果、夢屋は第一志望の企業に採用内定を得たという。企業側に迷惑が掛かることを理由に社名は明かさなかったが、「ゼロをイチにしていくことが好きで芸人を8年間続けてきましたが、そうした経験も生きる業種です」と表現した。
内定を得た後も芸人活動は続け、決めた期限は3月31日。実質は同月27日、東京・渋谷のユーロライブで開催する初の単独ライブ「ルビンの壺」が、活動最終日となる。
「単独ライブは芸人になろうと思ったときからの目標でしたので、頑張りたいです。(慶大の)友人も見に来てくれますが、両親はどうでしょうね。芸人を始めるときは、母にだけ言って、父には『おもしろ荘』に出た後にも伝えていませんでした。結局はバレたんですけど、特に何も言われませんでしたし、辞めることを伝えても何もなしです(笑)。お世話になった先輩芸人の方々には、辞めることを早い段階からお伝えしていて、『辞められる勇気がすごい』と言っていただきましたが、僕からすれば『続けられることがすごい』です。10年、20年とネタを作り続けて、人気を維持することは本当にすごいことですから」
夢屋は最近、実家から離れて一人暮らしを始めたという。4月からは一般人となるが、インスタグラム、ツイッターなどについては「勤務する会社との相談になりますが、応援してくださった方々とのつながりは大事にしたいので、継続はしたいです。夢屋まさるではなくなるので、(ネームは)本名にするか、違う形にするかは考え中です」。4月以降、SNSを追えば、サラリーマンになった「元夢屋まさる」の近況がつかめるかもしれない。
□夢屋まさる(ゆめや・まさる)1998年4月2日、東京生まれ。幼少時には子役として電力会社などのCMに出演。お茶の水女子付属小、慶応中、慶応高と進み、慶大経済学部に進学。ブレークした19年は、「東京ガールズコレクション」などにも出演した。家族は両親。身長175センチ。血液型A。