マルタ留学経験を持つ異色の地方局の看板アナが、退路を断って俳優を目指した理由

選んだ道に後悔は全くないと語る小笠原遥【写真:荒川祐史】
選んだ道に後悔は全くないと語る小笠原遥【写真:荒川祐史】

転職・起業する大学同期から刺激「自分も覚悟を決めないといけない」

 当時は30歳手前。大学の同期が一念発起して、転職・起業する姿も刺激になった。映画が公開された2018年1月からは帰京するタイミングで演技のワークショップやレッスンも受け、気持ちを具現化していった。「生半可な気持ちでは通用しない世界ですから、自分も覚悟を決めないといけない、退路を断つことで自分も本気になれると思えたんです。でも、退職届を出す当日の朝までそわそわして、何度もトイレに行きました」と振り返る。

 その意気込みは素晴らしいが、アナウンサーでもエンタメの世界には携われる。魅力的な職業と安定した将来設計を自ら手放すことに不安はなかったのか。

「もちろんありました。でも今の時代はどんな選択をしてもそう簡単に完璧というものはないし、人生で何かしらの不安は残ると思います。ならば、後悔のない選択をして、選んだ道を正解にする努力をする方が自分らしい。だから、後悔は全くないです」。TBC東北放送には感謝しかない。カメラの前に立つありがたみもあらためて感じた。「以前は当然のようにカメラの前に立って仕事をしていました。役者となった今は配役を勝ち取らないといけませんから甘くない。だからこそ、立てたときはうれしいです」。

 大学時代の2013年、マルタ共和国への留学も人生の転機だったという。地中海に面し、風光明媚な首都バレッタは街全体が世界遺産にもなっており、最近では映画「コンフィデンスマンJP 英雄編」(公開中)の舞台としても有名だ。

「日本人がいないところで勉強したい、と思ったんです。当時はほとんどいませんでしたから。海やヨーロッパの街並みも好きだったので自分で調べて決めました。でも、初日からあからさまな差別を受けたりと苦労の連続でした。大学には英語の試験で入学したのである程度自信があったのですが、授業では自分の発言の順番がスキップされるし、授業後に留学生らが参加するフットサルでは自分にパスが回ってこない。『日本人はボールに触るな』と言われ、45分間でボールタッチはたったの3回だけ。最初の1週間は誰とも喋ることもできず、1人でビーチに行って日焼けして。『自分は何をやってんだろう』と次第に悔しさが込み上げてきて、自然と涙が出ていました」

 そんなとき、当時イタリアのセリエAで活躍していた長友佑都選手を特集した「情熱大陸」を偶然見て、影響を受けた。「当時の長友選手は恥やプライドを捨てて、自分から積極的にコミュニケーションを取りに行くことでチームに溶け込み、中心的存在になっていた。これだと思って、思い切って行動を変えてみたら仲間の輪に入れたんです。最終的にはフットサルの幹事役になり、帰国するときにはみんながユニホームにメッセージを書いて、送り出してくれた。自分からコミットすれば、相手は応えてくれる。それはお芝居にも通ずることなのかなと思います」。その後、長友と小笠原は2019年にインタビューで対面を果たした。

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