【週末は女子プロレス♯35】カラーズ旗揚げのSAKI 「どん底」だった9か月前から今が一番充実しているワケ

リング上でのSAKI【写真提供:山川隆一(NO GUARANTEE MAGAZINE)】
リング上でのSAKI【写真提供:山川隆一(NO GUARANTEE MAGAZINE)】

活動終了を聞いた日、SAKIは「もう、どん底でしたね」

 そして19年1月20日、カラーズが正式始動。新ブランドを率いるようになってから、SAKIにはカラーズ愛が芽生えていったのだろう。選手たちに対する思いも変わってきた。心を開くようになれば自然と選手たちも彼女を慕うようになっていく。

「カラーズにくる子たちを中途半端な状態でリングに上げたくなかった。なので、練習日も(ビギニングと)分けてもらいましたし、カラーズ確立をメチャクチャ意識していました。なかなか結果は出ませんでしたけど、それでも一致団結はしてきましたね。私の中では確立はできてきたんですよ。ただ、もうすぐ3周年でこれからというところでなくなってしまって……」

 プロレス団体としての活動終了。このショッキングなニュースは解散1か月半前の昨年11月14日に明らかになった。が、選手たちには前もって伝えられており、SAKIが知ったのは昨年4・4後楽園大会の数日前だったという。この日、ビギニングとカラーズの頂上対決が行われ、SAKIが高瀬みゆきを破りAWGシングル王座を初戴冠、団体の頂点王座を初めてカラーズにもたらした。歓喜の裏で、彼女は(もちろん知らされていたほかの選手たちも)精神的に不安定な状態でリングに立っていたのだ。なんとも皮肉なめぐりあわせである。

「解散を決定事項として聞いたか? ハイ、そうですね。私、本気でアクトレスガールズの流れを変えようと思っていたんですよ。タイトルマッチまで持っていたたらその矢先に言われて、どうしようって……。もう、どん底でしたね」

 そこから解散発表まで7か月。誰にも言えないもどかしさの中、彼女は闘うしかなかったのだ。

「プロレス界から撤退後、カラーズのブランドを残してSAKIだけ特例でプロレスもいいという選択肢もありました。が、私はプロレスラーではなくなった子たちとプロレスはできない。なので、その選択肢は拒否させていただきましたね。また、SAKIがやっていけばと言われたこともありましたけど、自分が団体を背負える覚悟も(まだ)ないし。べつに自分自身はフリーでもいいんですけど、プロレスを続けていきたい子たちをどうしたらいいんだろうと思うと……。でも、自分からは言えないし、誘えない。人の人生を背負うのってすごく大きい。この7か月間、すごく長かったですね」

 それでも、SAKIはカラーズブランドを引き継ぎ、賛同する選手たちと共闘する意思を固めた。これには、waveでタッグ王座を保持する清水の言葉が大きかったという。

「悩んで悩んで悩んだ末、ひかりが一緒にやっていきたいと言ってくれて。しかもwaveさんでタッグベルトを取りたい、取るという行動で見せてくれた。心強かったですね!」

カラーズの名を背負いユニットとして活動していく【写真:新井宏】
カラーズの名を背負いユニットとして活動していく【写真:新井宏】

 そして、カラーズ在籍選手でプロレス継続を決めた4選手がカラーズの名を背負いユニットとして活動していくことになった。2・12新木場ではカラーズであり、アクトレスガールズ同窓会とも言えるカードが並んでいる。

 メインはSAKI&清水組vs堀田&川畑梨瑚組。現在行動を共にする堀田&川畑との再会だ。

「私たちがプロレスを続けていく決意表明という意味も込めて、一番お世話になった堀田さんとプロレスがしたい、(20年秋の退団以降)ずっと引っかかっていた梨瑚とリングで再会したいと思いました。いままでアクトレスのカラーズとしてできなかったカラーズが逆にできるのかなと思います」

 大会決定を発表した際には何もわからずパニくっていたSAKIだが、キャリア10年目にして今が一番充実しているという。

「自分で初めて道を切り拓いてる感じがしますね。カラーズの子たちをこうしてこうしてこうしようとかいろいろ考えて(笑)。プロレス以外にも4人でレコーディングもしましたし、12日に(網倉は舞台出演で欠場のため録音で)お披露目します。これからこの4人で高め合っていきたいなと思いますね。誘われてきたわけじゃないし、自分たちでやるという選択肢をした4人ですから、今までのカラーズより強いのかなって思います!」

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