コロナ禍でイギリスへの凱旋帰国が中止になった「デスマッチ侍」 日本への熱い思い
いよいよ先行き不透明のコロナ禍。プロレス界にも陽性者や濃厚接触者が続出しているが、思わぬ影響を受けた選手がいる。「イギリス生まれのデスマッチ侍」ドリュー・パーカーである。
「僕の思うデスマッチで宮本さんと戦い、勝ちたい」
いよいよ先行き不透明のコロナ禍。プロレス界にも陽性者や濃厚接触者が続出しているが、思わぬ影響を受けた選手がいる。「イギリス生まれのデスマッチ侍」ドリュー・パーカーである。
2019年、21歳にしてイギリスからプロレス留学生として来日し、日本のデスマッチに魅入られる。20年4月には大日本プロレスに正式所属して、いよいよデスマッチ地獄にハマってしまった。
21年7月23日、BJW認定デスマッチヘビー級王者・塚本拓海からベルトを奪取。その翌日、渡米しGCW認定ウルトラバイオレント王座も獲得して一気に日米を股に掛けたデスマッチ2冠王になるなど、日本だけでなく世界マット界にその名をはせた。
母国イギリスに堂々と胸を張って凱旋(がいせん)する実績もでき、21年12・12後楽園決戦を最後に、帰国が決まった。ところが、イギリスではオミクロン株の感染が大爆発。いったん帰国してしまうと再度、日本への再入国も難しくなりそうとあって帰国が中止になってしまった。
まだ24歳のドリュー。イギリスの家族も再会を楽しみにしていただけに、衝撃は大きかった。大日本の登坂栄児社長は「ドリューさんの家族に申し訳ないことになってしまった」と頭を下げた。
イギリスに帰国後、ヨーロッパはもとよりアメリカなど世界ツアーに乗り出すプランも進んでいただけに残念至極。「外国から日本に戻ってくるときに、もっと強いドリューを見せたかった」とうなだれたドリューだが「日本大好きですから、これまで以上に頑張りたい」と、すぐに気持ちを前向きに切り替えている。
BJWデスマッチ王座の初防衛戦でベルトを奪われた宮本裕向へのリベンジという宿題も残っている。「TLCマッチ(机、ハシゴ、イス)は僕のイメージではデスマッチではない。僕の思うデスマッチで宮本さんと戦い、勝ちたい」と、かなりりゅうちょうになった日本語で訴える。
「日本で強くなり、新しいドリュー・パーカーになる」と改めて誓ったイギリス生まれのデスマッチ侍。ヴィーガンであることはよく知られている。ベジタリアン(菜食主義者)は動物性食品を食べないが、ヴィーガンはさらに厳しく、動物製品を使ったものさえも口にしない。肉、魚はもちろん卵も乳製品も避ける。下ごしらえや調味料にも動物由来のものは受け付けないそうだ。
道場でのちゃんこ料理はもとより、普段の食事も大変だが「大丈夫! 日本にはちゃんとしたヴィーガン向けの食品がある」とにっこり。豆腐、納豆、米が大好物だという。日本を愛しているのが伝わり、うれしい限りだ。
すっかり日本になじんだ感のあるドリューだが、本心ではさぞやつらいはず。以前よりも切なさ、やるせなさ…言葉で表せないほどの悲哀が試合に反映されている。声援は禁止だが、会場の雰囲気や売店での様子から察するに、ファンの応援も以前よりなお一層、熱烈に、そして大きくなったようだ。
時折、ちょっと悲しそうな表情を見せるドリュー。だが、デスマッチへの愛が悲しみを打ち消す。君にはデスマッチがある。応援しているファンもたくさんいる。
デスマッチの師匠であるアブドーラ・小林は「今できることを全力でやろう」とアドバイスを送る。待望のイギリス凱旋、そして世界ツアーからの日本凱旋も実現する日は必ずやってくる。それまで日本での修業に打ち込むドリューの勇姿を目に刻みつけよう。