【ズバリ!近況】埼玉県知事選敗北から半年 青島健太さんは再起誓って毎朝5時起きでパワー全開

東京六大学リーグ記録を打ち立てた記念のジュン・イシイ製圧縮バットを持って【写真:山田隆】
東京六大学リーグ記録を打ち立てた記念のジュン・イシイ製圧縮バットを持って【写真:山田隆】

スポーツ取材で政治への思いを募らせていた

 埼玉県知事選に出馬したのは、もともと政治に興味があったから。大学は政治学科でしたし、長年トップスポーツを追いかける仕事をしてきて、スポーツを通じた人作り、地域作りを社会に対して働きかけていきたい、という思いを、取材をすればするほど感じるようになっていたんです。そんななか、自民党から「興味がありますか?」と打診がありました。

 家族は私が選挙に出ることに反対しませんでしたね。私が反対されてもやる困った人だ、と家族はわかっていますから(笑)。それに、家内は家内で自分の専門性を生かした仕事をしていますし、子供たちはもう大きい。31歳の長女はドイツでファッションデザインの勉強をしていて、4月に25歳になる長男はデンマークの工科大学大学院で環境工学を勉強し就職活動中。彼らも自分の人生に夢中だから、私の出馬を伝えたときも、「がんばってください」とメールがかえってきただけですね(笑)。

これまで蓄えた預貯金をすべて吐き出した

 結果的に私の経験のなさ、準備不足で落選となってしまって、この1年近くで、これまで蓄えてきた預貯金すべてを吐き出してしまいました(笑)。正直、厳しいですよ。何かほかに、コンスタントな収入を得られるものを持っていれば良かったと思いましたけど、それも後の祭り。家族も「これからどうするの?」って心配しています。でも、「いい経験だったよね」と後で言えるように、これからまだまだがんばろうと思っています。

 そもそも家内は私と結婚するぐらいですから、最初から安定した結婚生活を期待してはいないでしょう(笑)。私自身、もちろん出馬したことに後悔はなく、政治家としてやっていくことへの興味を失ったわけでもなく、また機会があれば……という気持ちはあります。そのためにも、これからもスポーツを勉強し、その良さを発信することは引き続きしていきたいと思っています。

野村克也さんに「ヒゲを剃れ」と言われた思い出

 私はヤクルトスワローズの選手でしたが、先日亡くなった野村克也さんとは選手と監督としての接点はありません。私が引退した翌年に、野村さんが監督としてヤクルトに来られたので入れ違いなんです。取材者と取材対象としては、何度もお会いしました。とにかくすごい方。ID野球といわれるように、プロ野球に数学をもちこんだ方ですね。“○○というピッチャーは××という打者に対して、初球は何パーセントの確率でストレート、何パーセントでカーブ”といったように。それは今、さまざまなスポーツが取り入れているやり方ですから、野村さんの先見性はずば抜けていたんですね。

 野球をドライに数字で分析する一方で、 “野村再生工場”といわれたように、他球団から戦力外通告を受けた選手や、自分の特性を生かせていない選手を輝かせるという人間味も持ち合わせていました。ご自身の現役時代の経験がもとになっているのだと思います。私もいろいろ教えていただきました。個人的には、一度、口ひげを生やしたら「なんで生やしているんだ。そんなもん、おまえの仕事にはふさわしくない。やめたほうがいいぞ」と言われました。野村さんはヒゲが嫌いなんで。それで私もしばらくしたら剃ってしまいました (笑)。そんな思い出がありますね。

□青島健太(あおしま・けんた)1958年4月7日、新潟市生まれ、埼玉県草加市育ち。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、東芝へ。1984年、ドラフト外でヤクルトスワローズ入団。1985年5月、史上20人目の公式戦初打席初本塁打を記録した。1989年に引退後、豪州で日本語教師に。その後、スポーツライターとして活躍。「NHK BSスポーツニュース」などのキャスターも務めた。2005年、社会人野球セガサミー硬式野球部監督(2007年退任)。2019年、埼玉県知事選挙に出馬したが落選。日本医療科学大学(埼玉県・毛呂山町)客員教授。

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