「ギャラは1億円、相手はピーター・アーツ」と要求した小川直也 無茶苦茶だった20年前の大みそか

「ギャラは1億円。相手はピーター・アーツ」

 それから1年後、今度は21世紀に入ってから初となる、01年の大みそかがやってくる。

 ここでは「INOKI BOM-BA-YE 2001」が開催され、猪木軍VSK-1による対抗戦が争われることになった。場所はさいたまスーパーアリーナ。大会は格闘技史上初の5万人収容とも言われる同所のスタジアムバージョンを使用した。

 当初、この大会のメインは、「猪木イズム最後の継承者」と呼ばれた藤田和之がK-1勢を迎え撃つはずだった。ところが12月に入った段階で藤田がけがで出られなくなり、紆余曲折あって“平成の借金王”安田忠夫が“K-1の番長”ジェロム・レ・バンナと対戦することになった。

 実はこのカードを猪木が安田に伝えたのは、12月25日のこと。

 その日、猪木は昼から東京・新宿の中央公園でホームレスの方々に炊き出しを実施。

 終了後、近くにあったホテル内のレストランで食事を取った。

 その際、猪木一行は20人ほどいただろうか。

 この頃は「PRIDEの怪人」と呼ばれていた、作家の百瀬博教氏が猪木の周囲を固め、記者もこの輪の中にいた。というか、もう取材陣も主催者も関係なく、それぞれがそれぞれの垣根を超えて、この大会を成功させたい! そんな思いを持っていたはずだし、少なくとも記者はその意識が強かった。

 なぜならこの年の「INOKI BOM-BA-YE 2001」は、格闘技界初となる大みそかの地上波ゴールデンタイム中継。これをいかに成功させるかにかかっていたからだ。

 しかしながら、それだけの大きな器を用意されながらも業界の体質からか、どうにも一つにまとまれずに足並みがそろわない。だからそんな暮れも押し迫った段階でもメインカードが決まらなかったのだ。

 先ほど、12月に入った段階で(目玉になるはずだった)「藤田がけがで出られなくなり」と書いたが、その段階で白羽の矢が立ったのが、猪木イズムのもう1人の継承者である“暴走柔道王”小川直也だった。

「あー、これでなんとか格好がつく」

 記者は、藤田の代わりに小川にオファーを出すと聞いた時、率直にそう思って心から安堵(あんど)した。

 だが、あろうことか小川はこの時のオファーを断った。

 しかも主催者側にまさかの逆提案!

「ギャラは1億円。相手はピーター・アーツ」

 それが小川の出した返答だった。

 20年たった今でもこの時の小川はよくそんな大それた条件を口にしたなと思うが、そこから小川は「銭ゲバ」というキャラを作り上げることに成功するのだから、やっぱりタダものではない。

 ちなみに当初、小川のために用意されたファイトマネーは3000万円。これはそれまでの段階で小川がMMA戦を行う際の金額を考慮し、多少上乗せされた金額設定だった。

 そこから二転三転して、最後は7000万円まで跳ね上がったという話まで公にされた。業界の通例上、ファイトマネーはなかなか公開されない。そのため、なんとなくしか把握できないものだが、この時は、主催者側からそんな話が赤裸々に語られ、専門誌では活字にもなった。

 実を言うと、記者はこの頃のやりとりを、かなり時間がたった段階で小川から直接聞いたことがあるが、今回はそれがテーマではないので、ここでは公にされた事柄を記載していく。

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