2年連続“紅白落選”も「ピンチはチャンス」 AKB48、大ブレーク前夜と重なる“逆境”

松井珠理奈と指原莉乃という起爆剤の誕生

 AKB48のブレークには2人の起爆剤的存在がいた、と筆者は考える。松井珠理奈と指原莉乃である。

 08年、珠理奈はSKE48の第1期オーディションに受かったばかりの小学生でありながら、AKB48のキングレコード移籍第1弾シングル「大声ダイヤモンド」のダブルセンターを前田敦子と共に務めることになった。しかもジャケット写真は珠理奈のソロショットであった。それまでのファンはいきなり見たことのない新人が表紙を飾った最新シングルを購入することになる。大変に重要な移籍第1弾シングルの、である。

 こうして、珠理奈の出現、J-POP史に残る神曲「大声ダイヤモンド」の楽曲力、劇場でたたき上げたAKB48メンバーの実力により、ついに人気に火がつき、オリコン3位の大ヒットになる。SKE48の珠理奈をオーディション後すぐにAKB48に合流させた秋元康プロデューサーの慧眼(けいがん)に誰もが脱帽した。

「大声ダイヤモンド」のヒットで波に乗ったAKB48は、09年「RIVER」で初のオリコン1位、11年「フライングゲット」でレコード大賞を受賞。そして09年から11年連続で紅白に出場するなど、それから「国民的アイドルグループ」の名を欲しいままにする。

 指原の登場は珠理奈よりもう少し後の話になる。社会的AKB48現象の真っただ中の10年「ヘビーローテーション」あたりからグループ内で頭角を表してきた指原は、「(本来は美少女なのだが)さほどかわいくない」という特異なポジショニングでそれまでのアイドル像を破壊した。「バンジージャンプも飛べない(飛ばない)ヘタレ」、「ブログがやたら面白い」という何が何だか分からないトリックスター的キャラに加えて、その天性としか言いようがないトーク力を絡め、あっという間に人気者になっていく。

 さらに、指原は人気が出始めた頃合いで発覚したスキャンダルという「大ピンチ」を見事なまでにチャンスに変え、逆に彼女のストレートでオープンなユーモアのセンスを世に広めることにも成功する。HKT48に移籍後もグループの立ち上げの功労者となり、プロデューサーとしての適正を世に知らしめる。「AKB48選抜総選挙」で何度もトップを獲得するまでになったのは記憶に新しいことと思う。もし今「AKB48卒業生で誰が1番成功したか?」を問うアンケートがあったら、そのほとんどの回答が「指原莉乃」であったとしても誰も驚かないだろう。

「破格の小学生」と「ヘタレなトリックスター」という起爆剤によって火がついたAKB48は大衆に受け入れられていく。しかしその起爆剤が効果を発揮したのも、初期からのメンバーたちの劇場でたたき上げた力のたまもの。汗と涙の日々があってこそである。

 デビューから数年間のAKB48は、まるでなかなか火がつかない打ち上げ花火のようだった。しかし、2人の起爆剤によっていくつもの花火が夜空に高く打ち上げられ、その美しさ、鮮やかさは人々の心を照らす希望の光となっていった。

(続く)

□成瀬英樹(なるせ・ひでき)作詞・作曲家。1968年生まれ。兵庫県出身。92年、4人組バンド「FOUR TRIPS」結成。97年、TBS系ドラマ「友達の恋人」(瀬戸朝香・桜井幸子主演)の主題歌「WONDER」でデビュー。2006年、AAA「Shalala キボウの歌」で作曲家デビュー。AKB48提供「BINGO!」「ひこうき雲」、前田敦子「君は僕だ」「タイムマシンなんていらない」などがトップ5ヒット。16年、AKB48のシングル「君はメロディー」でオリコン年間チャート2位を記録するミリオンセラーを達成。21年、乃木坂46「全部 夢のまま」を作曲。

トップページに戻る

1 2
あなたの“気になる”を教えてください