コロナ感染で酸素ボンベを背負い声帯を切除 GRACHAN岩崎代表が語る退院後の苦闘
今年はRIZINに多数のファイターを送り込み、一定の評価を得ている格闘技イベント「GRACHAN(グラチャン)」。19日には、千葉・幕張ベイパークアリーナにて「GRACHAN51」「GRACHAN52」が開催されたが、その代表を務めるのが岩崎ヒロユキ氏だ。実はこの岩崎代表、昨年は新型コロナウイルスに感染し、高熱→入院→ICU(集中治療室)での生活で生死の境をさまよった。しかも長期の入院後、待っていたのはコロナ治療後遺症との闘い。酸素発生器・酸素濃縮装置を持ち歩く生活を経験し、声帯をレーザー切除した男が今、思うこととは――。全2回の後編。
コロナでICUから生還も続いた身体の異変
今年はRIZINに多数のファイターを送り込み、一定の評価を得ている格闘技イベント「GRACHAN(グラチャン)」。19日には、千葉・幕張ベイパークアリーナにて「GRACHAN51」「GRACHAN52」が開催されたが、その代表を務めるのが岩崎ヒロユキ氏だ。実はこの岩崎代表、昨年は新型コロナウイルスに感染し、高熱→入院→ICU(集中治療室)での生活で生死の境をさまよった。しかも長期の入院後、待っていたのはコロナ治療後遺症との闘い。酸素発生器・酸素濃縮装置を持ち歩く生活を経験し、声帯をレーザー切除した男が今、思うこととは――。全2回の後編。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
ひと月以上の入院生活からようやく退院したものの、今度は酸素吸入器を手放せない生活となった岩崎代表。それでも慌ただしく時間は過ぎていき、退院から4か月がたったところで、ようやく「GRACHAN」の大会を開催するメドがついた。
2020年9月20日には大田区産業プラザPIOで「GRACHAN 45」を再開。会場は区の施設で、感染対策の高いハードルをクリアして、開催に至った。
「コロナ禍だから、そうなってまでやるのか、第2の被害者を出すんじゃないかっていう声もあるにはあったと思う。でも、選手は試合がしたい。もちろん強制ではないけど、試合したい選手に出場してもらいました。会場が区の施設なだけに厳しい条件の中、政府の指示のもと、細心の注意を払いながらの開催でした。例えば全選手、2回の抗原検査を受けていますし、リングチェックも選手1人でお願いしたりしました」
岩崎代表自身は酸素発生器を抱えながらの大会運営。想像するだけでも大変そうだ。
「だけどアドレナリンってある。現場に入ると、酸素発生器を外しても息切れしながらこなすことできたから(笑)」
大会は無事に終了したが、それでも自然に治癒を目指す生活は続いていた。
ある日、医師に投げかけた。
「何か薬とかないのですか?」
すると、「これがいいかもしれない」と言って出されたのは、口から吸いこむスプレー状の薬。しばらく使用してみたが、しばらくたつと異変があった。
「のどがイガイガして苦しくなっちゃったんです。たんがたまる感じもしてほんの数メートル歩いただけでハッハッハッハッて動悸と息切れがあって。だから担当医に『イガイガするんですけど…』って言ったら、『耳鼻科に行ってみます?』って言われて、耳鼻科に行って検査したら、『これ、声帯が動いてないですね。癒着してますよ』って言われたんですね」
つまり、退院後は肺や呼吸器よりも、声帯に大きな問題があったことが耳鼻科での検査で判明したのだ。
「医学界の論文だと気管挿管は1週間以上続けるのはよくないって書かれているらしいけど、俺の場合はICUで9日間いましたから。それだけギリギリだったのかもしれない。懸命の治療で命を救ってくれた医師や看護師には感謝の言葉しかありませんが、気管挿管を長く続けたので、声帯が癒着して離れなくなってしまった可能性がありました」
コロナの直接の影響というより、“コロナ治療の後遺症”という状況に、岩崎氏はセカンドオピニオンに救いを求めた。
当時通院していた病院では手術対応ができず、大学病院へ紹介状を書いてもらう。