【週末は女子プロレス#28】引退10カウントゴング中にまさかの撤回 大バッシングから売れっ子になった米山香織のいま
2011年12月23日、JWP後楽園ホール大会で前代未聞の事件が勃発した。引退試合を終えた米山香織が10カウントゴングを途中で止めさせ引退撤回を宣言、場内が大混乱に陥ったのだ。あれから10年、12月23日というまさにその日、米山は自身主宰のYMZで「米山香織引退撤回から丸10年」と題した大会を新木場1stRINGで開催する。いまや女子主要団体のほとんどで活躍する超売れっ子フリー選手だが、撤回当時は当然のように大バッシングの嵐。米山はこの荒波を乗り越え、どのようにして現在のポジションを築いたのか。まずは彼女自身に10年前を振り返ってもらった。そもそもどうして“引退”を決めたのか…。
18歳でプロレス入り 婚活も頭によぎり…引退を決意
2011年12月23日、JWP後楽園ホール大会で前代未聞の事件が勃発した。引退試合を終えた米山香織が10カウントゴングを途中で止めさせ引退撤回を宣言、場内が大混乱に陥ったのだ。あれから10年、12月23日というまさにその日、米山は自身主宰のYMZで「米山香織引退撤回から丸10年」と題した大会を新木場1stRINGで開催する。いまや女子主要団体のほとんどで活躍する超売れっ子フリー選手だが、撤回当時は当然のように大バッシングの嵐。米山はこの荒波を乗り越え、どのようにして現在のポジションを築いたのか。まずは彼女自身に10年前を振り返ってもらった。そもそもどうして“引退”を決めたのか…。
「私は高校卒業して18歳でプロレス界に入ったんですけど、そろそろ30歳になろうかという頃に次の人生を考えた方がいいかなと思って(11年7月10日に)年内での引退を発表したんです。身体が健康なうちに婚活した方がいいかなとか、将来の不安もあったし。やっぱり、30歳という年齢が大きかったですね」
病気やケガではない。プロレスがイヤになったわけでもない。が、引退後の仕事を具体的に決めたわけでもなく、ただ漠然とやめたい思いの方が大きくなっていたのだ。ところが、年末のゴールを設定すると、あらゆるところからオファーが届いた。JWP内はもちろん、あらゆる団体の選手から試合をしたいとの声を聞いた。引退ロードが大渋滞。言い換えれば、最後だからとチヤホヤされたのである。
「みんながお膳立てしてくれる。それは分かってたんです。分かってたんですけど、いろんな団体や初めての土地、いままで経験したことのないような試合もして、こういうプロレスもあったんだと気づいて。アメリカ行ったときには、またここで試合したいなと思ってしまったり。そこには自分の知らないプロレスがいっぱいあって、プロレスがますます好きになってしまったんですね」
ただ、JWPでは引退ロードとして興行を打っている。最後を見届けるため遠方から来てくれる人もいれば、記念品などを贈ってくれる人もいる。言ってしまえば、多くのお金も動いたのだ。一部選手からは「本当は引退したくないんじゃない?」との言葉もかけられていた。心中を察せられた米山の心は実際、揺れていた。