【ズバリ!近況】ずうとるび復活! リーダー・山田たかおさん「ケンカが多かったって本当?」と聞いたら
「これから新曲出して2度目の紅白だ!」
復活ライブを2月9日に湯乃泉東名厚木健康センター(神奈川県)でスタートしました。ドキドキしながら「みかん色の恋」でお客さんの前に出ていったら、昔のような「ギャ~」って黄色い声援で迎えてくれて、「待ってました!」「ありがとう!」って声をかけてくれてね。感動して涙流すお客さんもいて、待っててくれた人がいたんだ、ありがとう、という気持ちになりました。
ファンの愛で僕らも元気になります。ステージではカンペは見るわ、踊りを間違えるわ、段取り間違えるわ、でメチャメチャなんだけど、「これから新曲出して2度目の紅白だ!」って、僕はやる気満々(笑)。江藤君は「無理だよ」なんて言ってますけどね。みんな、楽屋ではイス座るときは「どっこいしょ」だし、楽屋にはマッサージの先生に来てもらってるぐらいだから(笑)。純烈に触発された? いや、僕らのほうが大先輩ですよ!
息子と娘は芸能界とは無縁の仕事に
「笑点」の座布団運びももちろん続けます。やめたいと思ったことはありません。だって、楽しい大喜利を横で見ながら仕事ができるんですから。始めたとき、僕は28歳。当初は僕よりかなり年上の師匠たちが出演していたから、いろんなことを教えてくれましたしね。師匠たちはご自身の弟子たちより、僕をかわいがってくれたんじゃないかなぁ。
「笑点」の座布団運びを始めてまもなく再婚して、息子と娘が生まれました。今、息子の太一が33歳、娘の桃子は32歳。太一は調理師免許をとって、豊洲の魚市場で魚をさばいています。桃子は沖縄の久米島で、伝統的な染め物・紅型(びんがた)でブローチや帯を作っています。太一は独身だけど、桃子は去年3月に結婚しました。家族はまだ再生ずうとるびは見ていません。2人ともおとなしいから、見たら、さあ、なんて言うんでしょうねぇ(笑)。前のかみさんとの間の子? 2人いますが、もうずっと会ってないですね。
不動産業で大成功して講演の仕事も多い
今は講演の仕事も多いんですよ。不動産の話が多いですね。24、25歳で離婚して仕事もなくてどん底だったときに、たまたま細木数子さん占いの本を読んだら、「不動産業が向いている」って書いてあったんです。
それでイチから勉強を始めて、12、13坪の古い家から少しずつ土地を増やしていったら、54歳のとき、江東区と江戸川区の、駅から徒歩5分以内の土地に鉄筋コンクリートのマンションが2棟建ちました。全部で9戸。それによる私の月収は秘密です(笑)。3年前、文春ムックの「不動産で勝つ!」にこの話が載ったら講演の仕事が増えて、今は月3、4本やっています。東京ビッグサイトとか大きな会場で話しているんですよ。
□山田たかお(やまだ・たかお)1956年8月23日、江東区生まれ。本名:山田隆夫。10歳のとき、「日清ちびっこのどじまん」(フジテレビ)出演を機にタレントに。1970年、「笑点」(日本テレビ)の“ちびっ子大喜利”コーナーで座布団10枚を獲得し、そのご褒美として“ちびっ子大喜利”コーナーのメンバー4人でずうとるびを結成。自作曲「透明人間」(エレックレコード)でデビューし、「みかん色の恋」が大ヒットした。1975年、NHK紅白歌合戦出場。1977年、脱退。1984年から「笑点」の6代目座布団運び役に就任。2020年2月、ずうとるび再結成。5人のずうとるびとしては初となる。2月22日湯乃泉相模健康センター(神奈川県座間市)、3月22日湯乃泉東名厚木健康センター(厚木市)などで歌う。