「野村克也さんのおかげで今がある」と共に戦った“伊勢大明神”伊勢孝夫さんが追悼
プロ野球の名選手、名監督として輝かしい戦歴を誇った野村克也さんが2月11日、84歳で亡くなった。現役時代は南海ホークスの捕手と近鉄バッファローズの打者として対戦し、現役引退後はコーチとして野村さんを支えた伊勢孝夫さん(野球解説者、75歳)が、ENCOUNT編集部に野村さんとの思い出を語った。
「天才やな」と皮肉を言われた
プロ野球の名選手、名監督として輝かしい戦歴を誇った野村克也さんが2月11日、84歳で亡くなった。現役時代は南海ホークスの捕手と近鉄バッファローズの打者として対戦し、現役引退後はコーチとして野村さんを支えた伊勢孝夫さん(野球解説者、75歳)が、ENCOUNT編集部に野村さんとの思い出を語った。
伊勢さんは三田高校(現・三田学園高校)卒業後、近鉄バッファローズ入団。すでに南海の正捕手として活躍していた野村さんとは、打者と捕手として何度も対戦した。現役引退後、伊勢さんはヤクルトスワローズ、広島東洋カープでコーチを務め、1989年にまたヤクルトに戻り一軍打撃コーチを務めていたところ、野村さんが監督として就任してきた。
「野村さんが監督に就任され、アメリカのユマで春季キャンプをスタートしたときの第一声が『そこに伊勢コーチいるやろ。オレはお前をおさえた記憶がない』でした。『どんな山の張り方してたんや。教えてくれ』と。私のことを、山を張って打ってるバッターやと思ってたんですね。でも、山を張ったことはなかったんで、そう答えたら、『天才やな』と皮肉を言われました」
野村さんは現役時代もID野球を実践し打者を研究し、打者の裏をかくリードをしていたのだ。
「裏をかいたつもりが表やったのか(笑)、そういえば、野村さんがリードしていたときは、よく打っていたな、と思いました」
「野村さんのおかげで今がある」
監督とコーチとしては、野村さんに野球そのものに対する考え方をひっくり返されたという。
「野球は頭でするもんや、と言われて『えー!』と思いました。それまで打ったり、投げたり、守ったりすればいい、と思っていましたから。正直、なんて頭使ってしゃかりきにならなあかんねん、と反発もおぼえました。それでも、なかなか優勝できなかったチームが3年目にリーグ優勝し、4年目で日本一になりましたから、選手も我々コーチも『この人についていったら優勝できるんや』という空気になりましたね」
野村さんから一軍打撃コーチの伊勢さんへの要求も多く、支えるのは大変だった。
「スコアを4色ボールペンで色分けして表にし、いつも野村さんが座っているベンチの横に置いておけ、と言うんですよ。色分けしておけばひと目見てわかるから、ストレートなら黒、カーブとスライダーは赤……というふうにね。で、こういうカウントのときはコレが多い……とかと考えながら野球をやっているわけです。その表をつくるのに、何回も徹夜させられました」
しかし、そのおかげで今がある、と伊勢さんは言う。
「今、私は秋田のノースアジア大学と大阪観光大学で野球の指導をしているんですけど、それができるのは野村さんのおかげです。何十年やってきたのとは違う野球を勉強させてもらいましたから。感謝しかないです。もっと長生きしてボヤいてほしかったですね」
野村さんが野球界にのこしたものは途轍もなく大きかったーー。