【週末は女子プロレス♯25】引退して12年、妻になった三田英津子が語るデスバレーボム開発秘話 技名に「三田」検討も
デスバレーボム開発秘話 技名に「三田」は「入れなくてよかった」
22年のレスラー生活に終止符を打った三田。現在プロレス界とのかかわりは少ないが、橋本千紘ファンだという旦那様がセンダイガールズの作った米を買い、夫婦でそれを食べているとこのと。そして、三田のレガシーは現在も引き継がれている。男女とも使われており、名称もそのままの必殺技デスバレーボムだ。
「それはすごくありがたいですよね。考えてた当時は、大きな武器がないと勝てないし次につながらないと必死でした。また第1試合に戻されるという恐怖心があったんです。そんななかで北斗さんがボディースラムを改良したノーザンライトボムを作った。誰もがやるボディースラムであそこまですごい技に変えられるんですよ。北斗晶の技になったんです。エアプレーンスピンをよくやってた私はあれからヒントを得て、デスバレーボムに改良しました。あのときは技名に『三田』って入れとけばよかったのかなと思ったけど、入れなくてよかったですね。入れてたら誰も使わないし、ここまでになってないと思うんですよ(笑)」
デビューから数年間は、将来ここまで影響力のあるレスラーになるとは誰も思わなかった。北斗の教えを生かし、同期との切磋琢磨で女子プロ界になくてはならない存在になった。豊田、山田ともしっかり肩を並べられるほど、下田とのラスカチョで存在感は決定的になった。最後に、現役時代でもっとも印象深い出来事を聞いてみると…。
「くすぶっていた(新人)時代、沖縄の離島で連戦がありました。毎日第1試合で下田とシングル。お互いやることは分かってるんだけど、どちらも決め手がなくて勝てない。すると余計に頑張っちゃって、フォールが取れないまま20分(フルタイム)やっちゃうんですよ。毎日、つまんない試合だと思いますよ。先輩にも怒られたし。でも、北斗さんに呼ばれて『一度、下田の顔をはたいてみろ』と言われたんです。やってみたら、下田も張り返したと思います。そこからそのカードが(第1試合から)なくなったんですよ。そこで開眼じゃないけど、なにかが変わったんだと思いますね」(文中敬称略)