永田裕志、新日本最年長53歳でも闘い続ける理由 地元東金で進む“壮大計画”は「自分の天命」
「自分の天命なのかなと」 ミスターIWGPが描くもう1つの大きな夢とは?
「どんどん進化していると思いますよ。プロレス自体、変わってきてるけど、共通しているのは競争意識が試合に出ている。相手に負けたくないという気持ち、競争意識こそ一番のストロングスタイル。根本的なものは変わってない。進化や変化に対応できる自分でいたい。価値観が違っていくのは当然のこと。時代の変化についていけないのは老害ですよ」
実はもう1つ、秘めた夢がある。
「レスリングのでっかい道場を地元に作りたいんだよね。合宿専用の道場。ウチの小僧(長男の裕生くん=12)がレスリングやっているので、ちびっこレスリングに携わる機会が多かった。都内はいろんなところで練習場を確保してたくさんの人が練習しているけど、小さいスペースを工夫してやっている。広いレスリング場でのびのびとレスリングをやってほしい気持ちがある。田舎の空気を吸いながら、いい環境で練習をやって、そこで一緒にメシを食ってやれたら」
アマレス時代を含めれば、永田の格闘キャリアは37、38年になる。バックボーンがレスリングの藤田和之、ケンドー・カシン、中西学とチームジャパンを結成したり、五輪や世界選手権を目指す新日本のレスリングチーム「TEAM NEW JAPAN」の監督も務める。レスリングとは切っても切れない関係だ。
「たぶん、この先もずっとかかわっていくのが自分の天命なのかなと。リングを降りることもあるかもしれないけど、その夢だけはと思って。レスリングに集中している息子の後ろ盾というか、そういうものを作ってあげたい。俺は教員家庭に育って、後ろ盾が何もないまま、教員を蹴ってこの業界に入った。退路を断って出た。息子にはのびのびと好きなことやって欲しいなと思いますね。話は具体的に進んでいます。あとはカネをためて作るだけですね」
人口5万7000人ほどの東金市は都心からも車で1時間以内で到着する。のどかな自然に囲まれ、キャンプ地には適していると永田は見ている。人生のライフワーク、壮大な目標に向け、東金大会の開催意義も大きい。
「声を出すことはできませんけど、手拍子とか拍手とか足踏みでもいい。久しぶりに重低音ストンピングでもやってくれれば盛り上がる。『永田裕志ここにあり』を東金のみなさん、いや新日本ワールドを通じて全世界に披露します。大暴れしますよ」
最後に、いつか裕生くんと一緒にリングに立ちたいという夢はないのだろうか。
「親子レスラーは増えているけど、ハンパな環境ではやらせたくない。『プロレスやりたい』と、子どもだから言ってるけど、本当に厳しい世界。気が早いかなと思う。ただ、プロレスは大好き。毎日、新日本ワールドで試合中継見てるし、オフィシャルの結果を見て、いちいち俺にLINEしてくるからね」
人生100年時代。そう考えれば、永田も半分を折り返したばかり。壮大なる野望に向かって、まだまだ闘い続ける。
□永田裕志(ながた・ゆうじ)。1968年4月24日、千葉・東金市出身。92年新日本プロレス入門。9月14日の山本広吉(天山広吉)戦でデビュー。97年WCW参戦を果たす。天山、小島聡、中西学らと第三世代と呼ばれ、頭角を現す。2001年にG1クライマックス初制覇。ノアとの対抗戦でも切り込み隊長となり、存在をアピールする。翌年、IWGPヘビー級王座を獲得し、10度の防衛に成功。11年、全日本プロレスの「チャンピオンカーニバル」優勝。得意技は岩石落とし固め、ナガタロック。183センチ、108キロ。11・28東金大会は東金駅からの無料シャトルバスを運行する。最新のチケット情報は新日本プロレス公式サイトをチェック。