永田裕志、新日本最年長53歳でも闘い続ける理由 地元東金で進む“壮大計画”は「自分の天命」

若手の頃は第三世代の一員として頭角を現した【写真:山口比佐夫】
若手の頃は第三世代の一員として頭角を現した【写真:山口比佐夫】

激闘の代償…ボロボロの肉体と50歳を超えて気づいた異変

 元気なようで、実は満身創いだ。右膝は10年ごろから曲がらなくなり、ヒンズースクワットができなくなった。左右の肘はまっすぐ伸びず、右腕は特にひどい。首の頸椎は、3番4番が詰まって骨化している。さらに、2年前には番組収録のための飛行機での長距離移動が原因で、不調に陥ったことがあった。

「アメリカに行ったら腰が固まっちゃって。エコノミークラスでシートが狭かった。到着後は何日も滞在せずにまた弾丸で日本に帰国した。治療してもなかなか治らなくて、筋力が低下した。筋力が戻ると痛くなくなる。だから、足腰のウエートトレーニングはやらないといけない」

 若い頃は無理できても、体がついていかなくなったと実感した。抱える“職業病”は増えるばかりだが、それでも闘い続ける理由がある。

「プロレスが大好きだよね。リングに上がると、アドレナリンが出るって言うけど、それが分かってきた。大衆の目の中、リングに上がるのはテンションが上がる。それが非常に楽しい。生きている実感がある」

 リングの上は非日常の世界。レスラーにとっても特別な場所だ。だからこそ、永田は何年たっても追い求める。ただ、リングに立つだけで満足はしていない。欲望の刀も懐にしのばせる。

「どうせ上がるなら、もう1回最高峰のベルトを取ってやろうと思っていますよ。『IWGPを取って俺は引退するんだ』。そういうものがないと、リングに上がれない。ベルトを取ったらいつ辞めてもいい。それを糧にやっている。現役をやるなら悔いなく辞めたい。悔いなく辞めるにはもう1回ベルトを腰に巻く。それを成し遂げたら、サーッと気持ちも楽になる」

 02年から03年にかけてIWGP10回の連続防衛に成功。正統派との真っ向勝負から悪党相手の大流血戦まで名試合を連発し、当時の最多防衛記録を打ち立てた。あれから20年近くたっても、その称号は輝きを放っているという。

「ミスターIWGPと呼ばれる機会は増えている。いまだに呼んでくださるのは不思議。あのときの闘いぶりを、小橋(建太)さんが称えてくれてミスターIWGPと呼ばれるようになった。格闘技で負けた後だったし、新日本が本当に苦しい中で先頭に立って必死に闘ってきた。今は頑張ってよかったと思うと同時に、情熱は変わっていない自分がいる。それが現役の原動力なのかな」

 新日本は世代交代が進み、“レインメーカー”オカダ・カズチカが看板レスラーに君臨。IWGP改めIWGP世界ヘビー級王者の鷹木信悟も存在感を増している。試合に出場しても前半戦に組まれることが多くなった永田は、後半戦をモニターで見て、後輩たちの闘いぶりを目に焼き付けている。現在進行形の新日マットはどう映っているのか。

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