没後10年の立川談志、夜の銀座で見せた“素顔” 弟子が明かす爆笑問題との秘話

目に焼き付けた“夜の談志”の素顔 アンジャッシュもお気に入りだった

 銀座のバー「美弥」(現在は閉店)。広さ6坪ほどの老舗で、談志はキウイに素を見せた。

 多くの芸能人も、そこにやって来た。ブレーク前夜の漫才師「爆笑問題」は「漫才やってみな」「ここでですか?」。その場でしゃべり出すしかなかった。

 音楽ネタをやり始めたばかりのピコ太郎を「誰もやっていないのがお前の才能」と見抜き、「美弥」に連れて来たことがある(ブレークは談志死後だったが)。活動休止中のアンジャッシュも談志のお気に入りだった。

 大名跡・古今亭志ん生の襲名をめぐっては、志ん生のせがれ、古今亭志ん朝(2001年10月没)に「ついじゃえよ」と背中を押したことがあった。

 演芸史の一場面の目撃者としての、談志の“夜の弟子”としてのキウイの目、記憶力、そして日記の記録が凝縮した1冊。

「これを読んで、師匠の音源、CDでもDVDでも見たり聞いたりしてほしいと思います。無条件に師匠って面白い人だって思えますから」
 
□立川キウイ(たてかわ・きうい)1967年1月11日、東京・板橋生まれ。90年12月に立川談志に入門した。前座生活16年半、その間破門になること3度という“演芸記録”を打ち立て、2007年に二つ目、11年に真打ちに昇進した。前座時代の様子は著書「万年前座 僕と師匠・・談志の16年」(新潮社)に詳しい。

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