【ズバリ!近況】「渡る世間は鬼ばかり」周平役の岡本信人が語る子役から60年芸能界を生き抜いてきた秘訣
なんと! 役者を辞めようとしたこともあった
私は12歳のとき、建築家だった父の仕事の関係で山口・萩から横浜、東京と転居してきて、大人しくなった私を心配した父に「劇団ひまわり」を勧められてこの世界に入りました。子役でデビューし、最初は周りに言われるがままでしたが、日活の撮影所の食堂で故・石原裕次郎さんにお会いして「うわあっ!」と驚いて、華やかなこの世界に魅力を感じるようになりました。おかげで、中3の通知表は“アヒル(2)の行進”(笑)。高校生になると、父が自分でこの世界を勧めておきながら、「劇団をやめて建築の勉強をしなさい」と私を理系に進ませたんです。大学時代に石井先生の「肝っ玉かあさん」(TBS系)がスタートしたので「『肝っ玉かあさん』が終わったら辞めるから」と言っていたら、「肝っ玉かあさん」に重なって「ありがとう」(TBS系)が始まり長く続いたので、父もあきらめましたけどね。
“子役は大成しない”と言われ、苦労する子役出身俳優は少なくありませんが、私は恵まれていました。「肝っ玉かあさん」「ありがとう」で石井先生に使っていただき、その後、「渡鬼」ですから。ホームドラマのイメージでずっとやってこられました。自分で特段、ああなりたい、こうなりたい、ともがいたというより、小川に流された笹舟みたいに流れに任せ、沈まないよう、その場その場で最善を尽くしてきた、というだけです。運が90%以上。子役は大きくなった姿を突然、みなさんに見せたら違和感があるかもしれませんが、たとえばえなりさんのような場合も、幼いときから作品の役とともに成長し、その姿を視聴者に見守っていただけたのは、俳優としては幸せなことではないかと思います。
橋田先生も優しかったですが、石井先生も優しい方ですよ。初めてお会いしたのは「肝っ玉かあさん」のオーディションのとき。当時の所属事務所から「TBSのプロデューサーに会ってきて」と言われてお会いしたのが石井先生だったんです。先生は私を見て「イヤホン付けてトランジスタラジオ聞こうか」ってそれだけ。何だったんだろう、と思っていたら、そういう役――“出前の健ちゃん”だったんですね(笑)。今振り返ると、運命的な出会いでした。ほんと、感謝しかないですね。
その後、先生が担当されていたドラマ枠・東芝日曜劇場にも呼んでくださったのですが、そのスタジオでトライリハーサルをして、終わって化粧室に戻ったら、台本をスタジオに忘れてきたことを思い出し、取りに戻ったんです。そうしたら、石井先生が「信人は叱るとダメだから叱らないで」とディレクターに話しているのが耳に入ってきました。細かいことまで見抜かれているんだな、とありがたく、恐縮しました。でも、その後に先生の舞台に出させていただいたら「バカ! 何やってんだ!」って叱られましたけどね(笑)。