ノーベル賞級研究の結果、新型コロナ「ワクチンの女神」波瀾万丈の足跡をたどる
ポスト降格、助成金申請の妨害…次々に立ちはだかる壁にも「ネバー・ギブアップ」
セゲド大学理学部を経て、同大学院博士課程でRNA研究と出会うが、ハンガリーの景気停滞で研究費が打ち切りとなり研究グループが解散に追い込まれる。研究を続けるためカリコさんは、1985年、夫、娘とともにアメリカへ渡り、テンプル大学に職を得る。このとき、外貨持ち出しはわずか100ドルに制限されていたが、娘のテディベアの中に1000ドルをしのばせて渡米したエピソードも。「実際にお金を密輸したのは私の娘…今だから笑って話せるけど、本当に怖かった」とカリコさんは振り返っている。
1989年には、ペンシルベニア大医学部に移籍して研究活動を続け、そこで「mRNAに特定のタンパク質を作る指令を出させる」という、今回のワクチン開発にもつながる発見をする。その後、「mRNAを人の体内に注入すると激しい炎症反応を引き起こす」という課題の克服に成功。2005年、その画期的な手法を科学雑誌に発表した。13年にドイツのバイオベンチャー企業、ビオンテックに移籍し、19年に上級副社長に。そして20年11月、カリコさんのmRNA技術を使ったファイザー製ワクチンの治験で有効性が確認された。
mRNAはDNAの情報をコピーして細胞内のリボソームに届け、タンパク質を作るための役割(メッセンジャー)を担っている。この原理を使ったmRNAワクチンは、新型コロナウイルスの情報をもとにウイルスが人間の細胞に侵入するときに使う突起と同じタンパク質を作る指令を出し、作られた突起が細胞の外に出ることで、免疫細胞の働きにより抗体となるタンパク質を作ったり突起が入り込んだ細胞を殺したりする仕組みだ(図「mRNAワクチンのはたらき」参照)。
こうして長年の研究が花開いたが、この間、大学などで転籍話を邪魔されたり、研究グループのポストを降格されたり、助成金申請を妨害されたり、次から次へと壁が立ちはだかった。2005年の発表後も大学で冷遇され、学会でも注目されず、「なかなかmRNAの本当の価値を認めてもらえなかった」とカリコさんは話している。
それでも度重なる逆境にめげず、「仕事が娯楽」「打ち込むものがあればどんな障害も乗り越えられる」「ネバー・ギブアップ」と突き進んだカリコさんについて、増田さんは「そこを乗り越えなかったら自分が納得して生きていけない、そこで諦めたらずっとその人生を引きずる。それをしたくなかったんだと思います」と受け止める。そして、「自分の最終的な目的は、(研究によって)病気に苦しんでいる人たちに薬を届けることだと。そこはまったくぶれない。どんな世界でも周囲や状況に流されることはありますが、目的に向かってまっすぐ進むことが重要だと教えてくれます」と強調する。