コントと思われないか、俳優・塚地武雅の葛藤「芸人であることが邪魔にならへんか」

50歳の節目を目前に心境を明かした塚地武雅【写真:舛元清香】
50歳の節目を目前に心境を明かした塚地武雅【写真:舛元清香】

芸歴25年、俳優としても18年「でっかいスイッチが1個しかない」

 実の母とはどんな関係か。「母は73歳になります。紆余曲折いろいろありましたけど、僕がお笑いをやりたいということには、まず父が大反対でした。母も反対で、勘当されたような形で東京に出てきました。ちょこちょこテレビに出させてもらってから、弟から『帰ってきてもいいぞ』ということを聞いた感じ。父が他界してからは、母は大阪の実家に1人で住んでいます。ただ、弟家族が近所に住んでいるので、様子を見に行ってもらえる。『弟の家に住め』という話をしても、母は『お父さんが建てたんやから、私は最後までいる』って。やっぱり、夫婦の絆が強いんだなと思いました」。

 芸歴25年、俳優としても18年。二足のわらじだが、そのバランスは決めていない。「お話聞いたら、やっているみたいな感じで、僕の中では別の仕事だとはあんまり考えてない。カメラの前で動いて、それが仕事になる。セリフを覚えていくとか、どんなエピソードを話そうかなとか、準備こそ違いますけど、スイッチは1つ。多分でっかいスイッチが1個しかないですかね。それを押したら、現場に行ってる。映画とドラマの違いもないです。場所こそ違え、同じテンションで来ています。たぶん、これが当たり前にもなっているのかもしれないですね。これが芸歴、1、2年目ぐらいだったら、全然違いますよとなっているのかもしれないですけども」。

 劇中の忠さん同様、塚地の中ではそれがルーティンになっているようだ。「こうやって話ししていますけども、見た方がどんな感想を持たれたのか、聞きたくて仕方ないんです。インタビュアーの中に自閉症のお子さんを持っている方がいて、『普段は一緒に映画を見ていられないけども、この映画はずっと見てくれた』と。『忠さんのことを友達だと思ってるんですよ』って。同じ境遇の方が見て、身近に寄り添い、気持ちが楽になるみたいな作品になったら、と思っています」。

 本作は、数多いフィルモグラフィーの中でも、大事な1本になった。「コロナ禍の中で、こういう作品が撮れて、11月25日には節目の50歳になります。親子関係を含めて、大事な作品に出させていただきましたね。僕自身、家庭を構えたいという思いはありますけど、ある種の開き直りもあって、後は天に任せています。出会うなら出会うだろうって。もう焦ることもなくなった。今は楽しいですし、幸せな環境にあるのかなと思っています」。まさに、50にして天命を知る塚地は「無我の境地」にあるようだ。

□塚地武雅(つかじ・むが)1971年11月25日、大阪府出身。96年、鈴木拓とともにドランクドラゴンを結成。2000年、01年にNHK「爆笑オンエアバトル」のチャンピオン大会に進出し全国区に。その後、俳優としても活躍。自身2作目の映画出演となった「間宮兄弟」(06)では佐々木蔵之介とのダブル主演に抜てき。その演技力が高く評価され、日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ数々の賞を受賞。近年の主な出演作に「の・ようなもの のようなもの」「高台家の人々」「屍人荘の殺人」「嘘八百 京町ロワイヤル」「樹海村」などがある。

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