「おい、ドーム押さえろ」の一言で始まった「10・9」 今でも震える“26年前の熱狂”
高田の背中に浴びせられた「前田が泣いているぞ」
新日プロに「田舎から親類や知り合いがやってくる。学生時代の友人から頼まれてしまって」などと訴え、30枚を何とか入手。そのまま右から左にUインターに手渡して感謝された。まさに異例尽くしだった。
試合前から熱くなる両陣営のファン。それまでにもあった遺恨勃発、因縁の対決というものとはまた違う、根本的なものの考え方の違い、思想形態によるイデオロギー対決。お互い相いれない根深いものがあり、それが皆の心を熱くさせた。
団体の存亡をかけた「10・9」決戦。猪木もゲスト解説者として放送席に陣取った。並んで座ったが、当時の入場者記録である超満員6万7000人を記録した東京ドームを見上げた猪木も感慨深げだった。
果たして、IWGP王者で8月のG1クライマックスも制覇していた武藤と、Uインターの絶対エース・高田の両団体の存亡をかけた一戦は、武藤が足4の字固めで快勝。格闘スタイルという新時代のプロレスを旗印に「UWF旋風」を巻き起こしていたUインターを、クラシカルなプロレス技で新日プロが下した波紋は、とてつもなく大きかった。
引き揚げていく高田の背中に「前田(日明)が泣いているぞ」という声が浴びせられた。喜びを爆発させ、留飲を下げた新日ファン、持って行き場のない悔しさに胸をかきむしられたUWFファンを、象徴するかのようだった。
衝撃は徐々にボディブローのごとく波及していく。新日プロは業界盟主の座を不動とし、Uインターは1年2か月後の96年暮に崩壊してしまった。明暗くっきりの結末を迎える。そして、高田は97年、総合格闘技イベント「PRIDE」へ足を踏み出すことになる。
「10・9」を分水嶺(れい)にして、マット界を巡り大きなうねりが巻き起こったのだ。あの日の東京ドーム、ドームのある水道橋近辺では、ケンカを始めるファンも多かった。リング外でも「新日プロvsUインター」が繰り広げられていた。あの異様な熱気は、プロレス史上にしっかり刻み込まれている。(文中敬称略)