「俺はアカデミー監督だぞ」とギャグで使っていた…親友・升毅が明かす急逝した巨匠の素顔
プライベートでも酒を飲み交わす「互いにアイドルオタクみたいな時代があった」
升が1955年、佐々部監督は1958年生まれ。同世代の2人はプライベートでも酒を飲み交わすように。「互いにアイドルオタクみたいな時代があったんです。監督は天地真理のファンクラブに入っていて、僕も好きだった。カラオケに行ったら必ず新御三家(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)を歌い、一緒に朝まで過ごしたり、関係ないのに、監督の出身の明治大学の同窓会にも出かけたことがありました。互いに特別な相手を見つけちゃったのかな」。
短くなかった下積み時代があるのも共通点。佐々部監督は巨匠・降旗康男監督に師事し、高倉健主演作の助監督も経験している。「『鉄道員(ぽっぽや)』で雪の中に倒れていて、顔が映らない健さんは俺だぜ、と言ってみたり、腕時計を外して、健さんからもらった時計を見せてくれたりしましたね。アカデミー賞受賞だけども、そんなことをおくびにも出さず、若手からいじられた時に、『俺はアカデミー監督だぞ』って、ギャグで怒り出す。助監督時代が長いせいか、とにかく準備が完璧で、役者は現場に身を置くだけでよかった」。
映画では、そんな佐々部監督との交流、升自身の素顔がにじみ出ている。最近では芸能人が俳句などの才能を競う人気番組「プレバト」にも出演しているが、「バラエティー番組は、全く素の部分は出てないですよ。リラックスしてないし、その場を取り繕って、毎回汗だくになっています。だから、こういう作品とは違いますね」。
升は監督への思いを語り、他人の言葉にも耳を傾ける。「自分の言葉が出てくればいいし、出なくてもいいのかなというスタンスかな。東日本大震災に遭われた方々の話には、震えそうになったり、泣きそうになったり、ほっこりしたり……。そこには、これでいいんだという確信があったんですけど、佐々部監督に関する部分は本当に分からなくなってしまいました」。
本作は自身にとって、どんな映画になったのか。「東日本大震災での人々の思い、佐々部清監督という人が亡くなったことによって、いろんな人たちがいろんな思いをしたっていうこと。僕はみなさんを代表して話を伺っただけなので、自分の映画とは思えていません。佐々部監督には、僕ら生き残りはこんなことやったよということは届けたいんですが、その返事が欲しいよね」と寂しさを見せる。親友を失い1年、気持ちの整理はまだついていない。
□升毅(ます・たけし)1955年12月9日、東京都出身。佐々部監督作品には「群青色の、とおり道」より参加し、自身初の主演映画「八重子のハミング」がロングランヒット。映画「大綱引の恋」、ドラマでは「沙粧妙子―最後の事件―」連続テレビ小説「あさが来た」「素敵な選TAXI」「おじさまと猫」「イチケイのカラス」「イタイケに恋して」など。
ヘアメイク:白石義人
スタイリスト:三島和也