「横浜銀蝿」翔&Johnny 不良なオヤジが最後に伝えたかったツッパリの美学

「横浜銀蝿40th」は神様がくれたご褒美。翔くんに感謝してます【写真:山口比佐夫】
「横浜銀蝿40th」は神様がくれたご褒美。翔くんに感謝してます【写真:山口比佐夫】

Johnny「次は音楽史に残るアーティストを育てる」裏方としての覚悟を決めた

――Johnnyさんは今まで横浜銀蝿の周年がいくつかあった中で、今日まで活動には至らなかったですよね。その理由というのは?

Johnny「30歳の時に、結婚して子どもが生まれて俺も家族のために生きようと思って表舞台から裏方に回ったんですよ。そこが横浜銀蝿でデビューしたキングレコードでね。今までアーティストだったのがスタッフになるわけで覚悟を決めなきゃいけなかった」

――3年間で燃えつきるまで4人一緒に走ってきたバンドだからこそ、いい加減な振る舞いはできなかったと?

Johnny「そう。絶対にね。今度は裏方として1位を取る、日本武道館を満タンにするようなそんな音楽史に残るアーティストを育てるまでは、表に出ないと決めてやってきたんです。だから俺の原点の大切なバンドに生半可な気持ちで顔を出すなんてことは出来なかった。おかげで裏方としてちょっとは結果を残すことが出来たけどね」

――一方翔さんは横浜銀蝿を守り続けてきました。でもその間、いつかどこかでJohnnyさんとまた一緒にやりたいという気持ちは、心のどこかにあったのでしょうか?

翔「もちろん。横浜銀蝿も俺もいろんな事があって、周年を迎えて、いつかはJohnnyとやりたいってずっと思っていたし、ファンのみんなからも『Johnnyさんは復活しないんですか?』ってずっと言われていたしね。でも彼はものすごい覚悟で音楽業界に入って、今度は浅沼という本名で金字塔を打ち立てようと頑張っているわけじゃない? そこに生半可な気持ちで声をかけるなんてできないでしょ。昔から一緒だったから彼のことは良く分かっているし、それで簡単にオッケーなんて言うやつじゃないからね。だからJohnnyが決めたところで大きな結果を出してほしいって俺はそう思っていましたよ」

――2018年に横浜銀蝿のプロデューサーだった水橋春夫さん(※4)が亡くなり、そこで20年ぶりにおふたりが顔を合わせたと?
(※4)元ジャックスのギタリスト、音楽プロデューサー。横浜銀蝿、山瀬まみ、Winkなどを手掛ける

翔「そう。お別れの会でね。Johnnyとは電話で時々話はしていたけれど、顔を合わせたのは久しぶりでね。それで初めて『一緒にまたやりたい』って言ったんだよ。『もしJohnnyが行けるなら最後に一緒のステージに立ちたい』って。ファンの子たちにあの光景を見せてあげたいって言って」

Johnny「2018年に翔くんからそう言われて、今の仕事もある程度結果を出していた頃だったんだけど、20年間ギターを弾いていなかったからね。そもそも弾けないし無理だよって。試しに家で弾いたら1曲で指が痛くなっちゃって(笑)。でも水橋さんのことがなかったら再会できなかったわけだし、結論は後にして、3か月ぐらい真剣にやってみてから決めようって言ったの。それでもやっぱり人前に立つのは無理かなって思っていたんだけど、スタジオで一緒に音を鳴らした瞬間にバンドを始めた頃の楽しい感覚を思い出してね。これだ!って」

翔「そう。久しぶりにスタジオに入って最初にJohnnyとアマチュアの頃から一緒に歌ってた『横須賀Baby』っていうデビュー曲で合わせたんだけど、初っ端のサビから歌うところで、Johnnyが『今夜はお前と♪』ってハモった瞬間にバチッ!とそろったんだよね。これだ!って。もう鳥肌が立ったよ。高校の頃に一瞬でワープ(笑)。やっぱり声ってすごいよね。俺すごい感動したんだよ。思わず演奏してる時に夢じゃないよなって隣のJohnnyを確かめちゃったから(笑)」

Johnny「それで、今まで能書き垂れてた自分がちょっとバカバカしくなっちゃってね。まだ本番まで9か月あるし、弾ける弾けない関係なく、『一緒にやりたい!』ってみんなに言ったの。ずっと30年間ビジネスの世界で一生懸命やってきた分、神様がご褒美をくれたのかなって思ったよ。だから今本当に翔くんに感謝してますよ」

――先日ようやくZeppツアーが実現しました。Johnnyさんは久しぶりの人前でのライブでしたが、ステージに上がった感想は?

Johnny「だいぶ慣れてきてギターもそこそこ弾けるようになったんだけど、ステージ感がまだ戻ってなかったわけ。臨機応変な対応ってみんなは出来ても俺は久しぶりだから戸惑っちゃってね(笑)」

翔「やっぱりJohnnyがいてくれてる横浜銀蝿が最強だっていうのを感じたよね。コロナ禍でお客さんは歓声を上げられないんだけれど、拍手の大きさで分かるじゃん? Johnnyが『おいでカモン♪』て歌い始めたら“Johnnyが戻ってきた!!”って俺たちの倍以上の拍手が鳴ったんだよ(笑)。うれしかった」

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