「日本一暑苦しい男」の生きざま デビュー20周年、挫折を乗り越え団体の代表に
「日本一暑苦しい男」大家健がデビュー20周年記念マッチ(9月25日、東京・後楽園ホール)に暑苦しいほどの情熱で臨む。
デビュー20周年記念マッチは木高イサミと組み、HARASHIMA、真霜拳號組と対戦
「日本一暑苦しい男」大家健がデビュー20周年記念マッチ(9月25日、東京・後楽園ホール)に暑苦しいほどの情熱で臨む。
すっかり秋めいて朝晩は涼しくなってきたが、大家の周りはいつ何時でも熱帯雨林。気温は3度上昇、体感温度は5度は上がる気がする。
木高イサミと組み、HARASHIMA、真霜拳號組と対戦する大家。対戦チームの2人とは、ほぼ同期。それぞれシングルマッチで闘っているが、一度も勝ったことがない。HARASHIMAとはデビュー直後から20年越しの関係。真霜とは、風貌が似ていた時期があり、それぞれそっくりさんとして対峙(たいじ)したこともある。何より2人は「ザ・レスラー」のたたずまいを備えている。
パートナーのイサミは「デキのいい弟」的な存在。ファイトスタイルは元より、イサミも紆余曲折の末、BASARAを立ち上げた。何度でも立ち上がってきた2人だ。大家のレスラー人生20周年を飾るのに、ふさわしいカードとなった。
思えば挫折続きの20年だった。今ではCyberFightグループの一角を占めるガンバレ☆プロレスの代表だが、家出を繰り返してきた。失踪したこともあった。自殺未遂に追い込まれたこともある。
それでも大家にはプロレスがあった。「強くなりたい。優しくしてくれた人たちに恩返ししたい。感謝の気持ちを伝えたい…この思いが僕を救ってくれた」と振り返る。
10人の所属選手に加え、レギュラー参戦してくれるフリー選手や他団体の選手もいる。彼らの夢を実現させてあげたい。それぞれが理想とするプロレスを実践する場を用意してあげたい。暑苦しい男のハートは確かに熱い。
大家本人の夢は「プロレスをメジャースポーツにしたい」だという。なにせ中学生からのプロレスファン。野球に取り組んでいた高校生のときに、ヘビー級王者・橋本真也VSジュニア王者・獣神サンダー・ライガーのIWGP王者決戦を目にし、プロレスにのめり込むことになった。
「そんなに大きくないライガーさんが、橋本さんに全く引けをとらなかった。負けたけど、小さくてもプロレスラーは強い」と、身長が伸びない自分への応援エールと受け取ったのだ。
学生プロレスを経てプロレス入り。2001年暮れにDDTでデビューを果たしたが、決して順調なレスラー人生ではなかった。けがを負ったり、精神的に追い込まれたりしながらも、13年にガンバレ☆プロレスがスタートした。
とにかくどんなときも大声を張り上げてきた。自分を鼓舞するためだけではない。みんなにエールと送りたいからだ。石川修司のセコンドに就いたとき。場外でダウンした石川に声をかけ続けた。いや、叫び続けた。試合後、石川に「応援はありがたかったけど、レフェリーの場外カウントが聞こえなかった。危うくリングアウト負けしかけた」と苦笑いされてしまった。
大声と並んでオールバックの髪型もトレードマークの一つ。暑苦しいほどの毛量だが、「もみあげも跳ね上がる。なにせ毛が多くて、しっかりした毛質」と、なぜかこちらを向いて胸を張る。
カラオケではオールバックを振り回し「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」を声を張り上げて唄う。どうにも暑苦しい限り。
実はマージャンも得意。学生時代には全国大会でベスト8入りしている。
今また「プロレスをメジャースポーツにしたい」という原点に立ち返って、それこそ頑張りたいという。「ガンバレ☆プロレスで、みんなに夢を実現するパワーを送りたい。生きていくのがつらくなり、パンツ一枚で、ビルの屋上で立ちつくしたり、頭痛薬を100錠、飲み干したり、ハサミを首に突き立てたり、花瓶で後頭部を殴りつけた(よい子はマネしないでね)俺が頑張っている。みんなも夢を実現できる!」
とにかくプロレスが好きなのだ。好きで好きで…好きすぎて暑苦しくなってしまう。
日本一暑苦しい男のエールは強烈そのもの。大家健の生きざまを見逃してはいけない。