“漫画家”矢部太郎が明かす変わった家族 カラテカへの思いも吐露「解散してません」
父親が絵日記としてつづっていた3冊の矢部太郎ノート
3~5歳のころの矢部さんの様子をみつのりさんが絵日記のように絵と文章で詳しくつづったもので3冊あった。「これ自体が作品のようで魅力的ですが、これをもとに僕が描くことで立体的になるんじゃないかと。姉のノートもあって、僕が生まれる前、姉と両親の3人の時代から、僕が登場し、歓迎して育ててくれた様子を読んで、描いてみたいと思うようになりました」
ちなみに、姉のノートは38冊、ほかにペットだったうさぎのノートもあり、「ものすごく暇があったんだなと(笑)。その時間を僕ら子どものために使ってくれたんだなと思いました」。
登場するエピソードは「父の考え方とか描けそうなものを並べています。今、僕があるのは父のおかげ。いつも一緒に絵を描いて、褒めてくれて、絵を描くことが好きになった。ほかの人と一緒じゃなくてもいい、自分は自分の好きなことを見つけられたらいいよね、という話をしてくれた。お笑いにしろ漫画にしろ、僕はたぶん、それが見つけられた。父もきっと自分で選択してそういう暮らし方、生き方をしていたんだと思うんですよね。そういうことを伝えたかった」
中でも印象的なエピソードとして矢部さんが挙げたのが、近所の銭湯が取り壊しになり、煙突を壊す工事の様子をスケッチする父と1日中見ていたというもの。
「お父さんはなくなってしまうものを描くことで残したいんだろうなと思います。僕も、漫画に描いたから残って覚えていること、大家さんのことでも、描けて良かったなと思うことはありますね」
子育てを通じてみつのりさんは「育てることで自分が育てられて、人生を生き直しているみたいだ」とノートに書いていたという。矢部さんも「僕もこれを描くことで生まれ直したっていうか、子どものころをもう1回体験できて見つめ直せた気がする。改めて家族、僕自身、人を大切にしたいなと思いました」。