【週末は女子プロレス♯14】「引退しなくてよかった」waveに君臨・野崎渚に漂う王者の風格 この1年に何が起きたのか
プロレスリングwaveの野崎渚は15歳で井上京子率いるNEOに入団し、2006年11月にデビュー、将来のエース候補と期待される存在だった。しかし、彼女ほどケガに泣かされ続けたレスラーもいないだろう。今年でキャリア15年を迎えるが、その多くで欠場。現在はwaveの最高峰王座Regina di WAVEを獲得し団体トップのチャンピオンとして君臨しているものの、シングル王者への道のりは実に険しいものだった。
2度目の眼窩底骨折で折れた心
プロレスリングwaveの野崎渚は15歳で井上京子率いるNEOに入団し、2006年11月にデビュー、将来のエース候補と期待される存在だった。しかし、彼女ほどケガに泣かされ続けたレスラーもいないだろう。今年でキャリア15年を迎えるが、その多くで欠場。現在はwaveの最高峰王座Regina di WAVEを獲得し団体トップのチャンピオンとして君臨しているものの、シングル王者への道のりは実に険しいものだった。
最初のケガは、デビューから半年もたたない07年4月の鼻骨骨折。約3か月で復帰できたのだが、09年6月には右肩脱臼と右目の眼窩底骨折を同時に負ってしまった。長期欠場から10年8月の朱里戦で満を持して復帰するも、1週間後に再び右肩を痛め欠場することに。右肩に脱臼癖がついてしまったのだ。当時はNEOの解散がすでに決まっており、野崎は試合数を制限しながら強行出場、なんとか団体の最終興行には参加した。その後、京子の新団体ディアナに参画したのだが退団、フリーとしてWAVEなどに参戦するも、またもや右肩の不調で欠場生活に入った。12年8月、TAJIRI率いる男女混合団体WNCに戻ってくるが、新境地を開いたところで13年2月に2度目の右目眼窩底骨折。これを最後に、野崎はプロレス界からフェードアウトしてしまったのである。
「欠場の繰り返しでしたけど、戻ってこれたのは具体的な理由があったからです。たとえば三田(英津子)さんの引退試合に指名されたりとか(結局は出場できず三田を敬愛する真琴が相手を務めた)、団体の解散があったりとか。理由と目標があったから、必ず戻ってくるとの気持ちでやってこれました。ただ、2度目の眼窩底骨折でさすがに心が折れてしまって…。もうプロレスはいいかなって思ってしまったんですね」
プロレス界から姿を消した野崎。ただ、正式に引退をしたわけではないので、彼女を現役レスラーとして接した人もいた。そんな時、いかにもバツの悪い感覚に陥ったと野崎は言う。
「なんとも答えにくい状況でしたね(苦笑)。プロレスを辞めたわけではないけれど、べつに続けているわけでもない。プロレスやってるんだよねって人から言われても、いやあ、いまやってないんだよなあ、引退もしていないんだよなあって心の中で思いながら(苦笑)」
どこかでケジメをつけたいと考えてはいた。そんな頃、NEO解散と同時に引退した宮崎有妃が復帰するとの話を聞いた。野崎は直接宮崎と話し、迷える胸の内を話した。そして、野崎自身も復帰の道を選ぶ。それは、正式に引退するためだった。
「次の人生に進むためにも中途半端はよくない、ちゃんと引退しないといけないですよね。引退するには一度復帰しないと。復帰に関しては、やっぱり宮崎さんの存在が大きかったですね。15歳からお世話になってる先輩で、宮崎さんからもっと学びたいとの気持ちもあった。復帰するならもう1回宮崎さんの下でプロレスがやりたいと思ったんです。ただ、肩が悪かったのでちゃんと治さないと。復帰は正式に引退するため、『引退は視野に入れてます』と話をして、復帰することになりました」