鬼軍曹は鬼だけじゃなかった 山本小鉄さんの仏ぶりを命日8月28日を前に振り返る
新日本プロレスの“鬼軍曹”山本小鉄さんは2010年8月28日に亡くなった。今年で11回目の命日となる。
他人にも自分にも厳しかった“鬼軍曹” 若手へのあいさつは「練習しなさい」
新日本プロレスの“鬼軍曹”山本小鉄さんは2010年8月28日に亡くなった。今年で11回目の命日となる。
1960年代には東京スポーツの現場記者が毎日、その日の前座試合から選考し表彰していた「東スポ賞」があった。日本プロレスの若手時代の小鉄さんは、最多受賞者だった。先輩から「若いときから、何事も真剣で凝り性。とことんやり抜く男だった」と何度も聞かされたものだ。
そして、猪木とともに立ち上げた新日本プロレスでは、鬼軍曹としてストロングスタイルを守り抜いた。妥協を許さない厳しさ、激しい闘争心で、若手選手が気の抜けた試合をすれば「前座だって新日の試合なんだ! 下手な試合をすれば猪木さんに恥をかかすことになるんだぞ!」と、竹刀でボコボコにしていた。
小鉄さんの愛車キャデラックのエンジン音が聞こえると、道場にいる選手は一瞬にして緊張した。いつの時代のヤングライオンたちも直立不動になった。あまりの厳しさに、道場の裏にある白樺の木を小鉄さんに見立て、包丁を何度も突き刺す者もいた。
他人にも厳しいが自分にも厳しい。引退した後も練習を欠かさず、まさにストロングスタイルの象徴だった。「引退しているけど、練習しているからいつでもリングに立てるよ」と胸を張っていた。若手選手へのあいさつは「練習しなさい」だった。
厳しいだけではなく、優しく愛嬌(あいきょう)のある人でもあった。新人記者やちびっこファンにも決して横柄な態度を取らず、常に丁寧な口調で接してくれた。学校をサボって観戦に来ているファンを見つけると「僕は貧しくて、行きたくても学校に行けなかったの。あなたは学校に行かせてもらえるのだから、感謝しなくちゃダメだよ。だから休んだりしたらいけない。見に来てくれるのはうれしいけど、学校休んでプロレスを見に来たら、プロレスが悪いってことになっちゃうの。だからファンなら休んで来たらいけないんだ」。教え上手な小鉄さんは優しく諭していた。
新日本のライオンマークのデザインを考えたときは「絵はうまく描けないから、ネコみたいになっちゃってね」と頭をかいていた。