【懐かし64東京五輪】東京五輪音頭、好景気、芸能界入り…湯原昌幸「忘れられない年」
大ヒット映画「東京オリンピック」裏話
映画も作られました。市川崑監督(故人)の「東京オリンピック」。実は、当初は黒澤明監督(故人)が撮ることになっていたんです。東京の前のローマ五輪のときにすでに黒澤監督が所属する東宝に要請されていて、黒澤監督はローマに視察に行っている。黒澤さんは、他の映画会社の監督も呼び集めて、カメラを何十台も使って撮ろうと考えていたようで、そうすると費用が50億円以上かかる。
東宝が音を上げて、結局、市川監督が25億円で撮った。120億円くらい売り上げ、結果としては成功だったといえますが、黒澤ファンの僕としては、黒澤明の「東京オリンピック」を見たかったというのが本音。市川監督の作品も単なる競技の記録ではなく、リアルな人間の記録といった感じで良かったのですが、黒澤監督は選手の息づかいなどがもっと伝わるリアルな人間の物語にしたのでは、と思うんです。とても残念です。
女子バレーのドラマ「燃えろアタック」で主演した由美子夫人は中国で有名人
五輪といえば、妻の由美子(歌手・女優の荒木由美子さん)の話で恐縮ですが、彼女が主役を演じた石ノ森章太郎さん原作の「燃えろアタック」という女子バレーボールのドラマがありました(79~80年、テレビ朝日系)。80年のモスクワ五輪を目指して頑張るという設定だった。ところが、米国や日本がボイコット。それで話の筋が変更されたのですが、これが中国で放送され、80%以上の視聴率を上げ、それを見た人の子、孫、ひ孫にまで見続けられている。“負けない精神”がテーマで、中国の大企業、アリババグループの創業者のジャック・マーさんもドラマを見て、この精神で会社を立ち上げたそうです。
で、日本に来たとき、「小鹿純子というタレントは知らないか」と。誰も知らない。小鹿純子は中国で放送されたときの主人公の役名。日本での役名は小鹿ジュン。たまたま私と由美子が出ていたテレビをマーさんが見て、「この人だ」と。以来、マーさんに招かれて中国に何回か行っています。行くのは彼女だけ。僕も行くと「殺されますよ」って言われた(笑)。実際、結婚したとき、中国から「怒兄」という手紙がたくさん来ましたよ。自分たちのアイドルを取られたと、僕に怒っていたわけです。
それと、今度の五輪の中国女子バレーボールチームの郎平監督。この方はドラマに出てくる必殺技の「ひぐま落とし」をベッドの上から練習したそうです。由美子は中国でお会いしているし、今の五輪でも中国チームを日本チームと同様に応援。中国チームはなかなか勝てず、8月1日に1勝したとき、中国のSNS「ウェイボー」に「おめでとう」と書き込んだら、中国のフォロワーの皆さんから中国語で「ありがとう小鹿純子」という声がたくさん寄せられました。
□湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)1947年3月5日、茨城県牛久市生まれ。日本大学芸術学部中退。64年にグループサウンズ「スウィング・ウエスト」に入団。ボーカルを担当。71年、グループサウンズで歌った「雨のバラード」をリメイクし、累計120万枚の大ヒット。その後、俳優、司会などで活躍。映画の出演作に「トラック野郎・御意見無用」「男はつらいよ 跳んでる寅次郎」「二百三高地」などがある。98年、CD「時間(とき)を止めて」で再歌手デビュー。その後、自ら「僕の本当の50歳からのテーマソング」という「人生半分」や「冬桜」などを発売。また、シニア世代が青春をよみがえらせる音楽づくりを目指し、シンガー・ソングライターの南部なおととデュオユニット「ダニーボーイズ」を結成。2021年6月16日にシングル「涙のサイドウォーク」(徳間ジャパン)を発売した。