16日死去の名音楽プロデューサー・酒井政利さん 宮沢りえ母子から全幅の信頼を得ていた
音楽プロデューサーの酒井政利さんが今月16日、心不全のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。85歳だった。
「異邦人」を大ヒットさせた天才的発想
音楽プロデューサーの酒井政利さんが今月16日、心不全のため都内の病院で亡くなっていたことが分かった。85歳だった。
酒井さんは1935年11月生まれ、和歌山県出身。立教大卒業後、日本コロンビアに入社し、プロデュースした青山和子の「愛と死をみつめて」が日本レコード大賞を受賞するなど活躍。1968年に当時のCBSソニーに入社するとカルメン・マキの「時には母のない子のように」を手がけてミリオンヒットを達成した。
その後はフォーリーブス、山口百恵、南沙織、郷ひろみら300人以上のプロデュースを担当し、総売り上げは約8700億円と言われる。山口の「いい日旅立ち」「横須賀ストーリー」「プレイバックpart2」「夢先案内人」「秋桜」などを手がけたことは有名だ。
96年に独立し、2005年に文化庁長官表彰、20年に文化功労者に選ばれている。
「天才的な音楽センスの人でした」とはある音楽ディレクターだ。
「半ば伝説化しているのが79年にヒットした久保田早紀の『異邦人』。当初、久保田が持ち込んだデモテープはフォークソングに近いポップス調だった。酒井氏はデモを聞いた瞬間、当時のエスニックブームを思い浮かべ、『中近東っぽい曲調にしよう』と発案してあのアレンジに変えました。久保田本人が『まったく違うイメージになったので違和感があった』と語っているほどの大幅チェンジ。ただ、酒井氏の発案がなければあそこまでのヒットになっていたか疑問です」
80年代になり、酒井さんには「自宅でヘビを飼っている」とのウワサが流れた。口さがない連中が「裸になって体にヘビを巻きつけている」などと冗談を言うほどだったが、元CBSソニーの関係者は「酒井さんの自宅に打ち合わせに行った人が『ヘビが出てきた』と証言しています。かなり大きなヘビを飼っていたようです」と言う。
アーティストや関係者からは全幅の信頼を得ていた。
「たとえば宮沢りえ母子。何かとこだわりの多かったお母さんの光子さん(故人)ですら、酒井さんの言葉には素直に従っていました。酒井さんは女性的と言えるほど穏やかなしゃべり方をし、とにかく頭の回転が早かった。会議などでは相手の意見に対して『お考えはよく分かります。ですが、こういう発想もできますよ』とやんわりと反論する。あまりに理路整然としているので誰も反論できなかった。社員を呼び捨てにすることは一切なく、入社したての若手も『あなた』と呼んでいた。相手と信頼関係ができると『○○さん』とさんづけだった。社内に酒井さんを悪く言う人は一人もいませんでした」(前出の元CBSソニー関係者)
70~80年代の音楽界を盛り上げた巨人の死。月並みな表現だが、「一つの時代が終わった」と言えるだろう。