獣神サンダー・ライガー、「SUPER J CUP」と亡き盟友ワイルド・ペガサスを語る
第1回「SUPER J CUP」を振り返る
アイキッド「プロレスっていつの時代もドラマがあって、そんな中での94年の第1回『SUPER J CUP』は、ライガーさんが当時まだ知られていないインディー団体の面白い選手を大きな舞台に引っ張り上げるというまさにあの時代の先駆者というか。当時中学生だった僕は、“獣神サンダー・ライガーが業界をまとめているぞ!”みたいな感じで見ていたんです」
ライガー「アイキッドさん、ごめん!もしかしたらがっかりさせちゃうかもしれないけれど、別に僕はファンの皆さんのためにとか業界をまとめようとかそういった考えは当時まったくなかったんですよ」
アイキッド「そうだったんですか?」
ライガー「僕とこいつがやったら面白い、こいつとこいつを戦わせたら面白いとか。あれだけいっぱい団体があって、面白いキャラクターを持ったレスラーがいっぱいいてね、それを見たときに『やればいいじゃん!』て率直に感じただけなんです」
アイキッド「それってプロデューサーの視点ということですか?」
ライガー「と言うより、その中に入って戦いたいだけだったんです。傍観者じゃなくてあくまでプレーヤーの1人としてね。僕が中学生の頃に『8.26プロレス夢のオールスター戦』(79年)というのがあったんだけど、それを自分たちの手で作って自分たちで楽しみたいっていう。『ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア』も『J-CROWN』という“ジュニア8冠王座”もそうだったし」
アイキッド「ライガーさん自身がワクワクするかどうかが大事だったんですね」
ライガー「そうなんですよ。“棚からぼた餅”じゃないけれど結果としてうまくいったから皆さんにほめてもらったんだけど、根っこはそういうことだから。『本当にすみません!』て思っています」
アイキッド「当時『SUPER J CUP』の翌日に学校に行くと、みんなその話でもちきりだったんです。『みちのくプロレスの人たちってすごい!』『あの団体のあの選手の技がカッコイイ』とか。ずっとみんなで話していました。僕は、みちのくプロレスを知って福島まで見に行ったんですよ。そんな僕らにとってもワクワクするような発見がいっぱいありました」
ライガー「そうだったんだ。それはうれしいですね。よく『新日本プロレス見ています!』とか『ライガーさん応援しています』って声をかけてくれる人はたくさんいたんだけど、そんな時に『ぜひ他の団体も見てよ。面白い人たちがいっぱいいるから』って。『いろんな団体を見て新日本プロレスを見てくれたらまた見え方が変わると思うよ』っていつもファンの方たちに言ってました。だからアイキッドさんがそんな楽しみ方をしてくれていたんだって分かって本当にうれしいですね」
アイキッド「ライガーさんはやっぱりプロレス界の“チェアマン”ですよ」
ライガー「だから全然そんなことないんだって(笑)。今でもプロレスが好きだし、ほんと楽しみたいだけでやっていたんでね。何か自分でかなえたい夢とかそういうのを自分で企画して、そこに自ら参加して試合もやる。きっとそれは僕に限らず音楽の世界だってありますよね? それがたまたま実現できたっていう話なんです。ところで僕も2人に質問があるんだけどいいですか?」
ジョー「もうイッカイ試合エンチョーね!」
ライガー「ジョーさん分かってるねー!」
全員「(爆笑)」
次回に続く
□獣神サンダー・ライガー
1989年東京ドームの小林邦昭戦で獣神ライガーとしてデビュー。90年、獣神サンダー・ライガーに改名。94年、団体の枠を超えてジュニア戦士が集った「SUPER J CUP」第1回を開催。97年、ウルティモ・ドラゴンを破り、ジュニア8冠王に君臨。20年1月4・5日東京ドーム大会で引退試合、翌6日大田区総合体育館にて引退セレモニーを行う。3月、WWE殿堂入り。アントニオ猪木、藤波辰爾に次いで日本人レスラー3人目。引退後はプロレス解説者、タレント、YouTubeチャンネルなど幅広く活動中。
Twitter:https://twitter.com/Liger_NJPW
YouTube:https://www.youtube.com/c/jyushin_thunder_liger/
□ザ・リーサルウェポンズ
2019年1月、突如として出現。狂気の発明家アイキッドが最終兵器サイボーグジョーとともに、80年代~90年代のカルチャーをテーマにした衝撃エンターテインメントを展開する。
オフィシャルサイト:https://www.tlw80s.com/
Twitter:https://twitter.com/TLW80s
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCzkUVvwcUOkv3rLHvu69ImQ