グラビア女王が女優の道を選んだワケ 柳ゆり菜が明かす映画と家族「仕事で救われた」
泣きながら実家に帰った過去も、両親の言葉が励みに
――映画の世界や、女優という職業への憧れを抱くようになったきっかけを教えてください。
「高校1年生か2年生くらいのときです。ずっとダンスをやっていたんですけど、死ぬほどダンスをやっていたからこそ、ダンス以外のことに夢を持っているなんて恥ずかしくて言い出せなかったんです。でも、小さいころから映画を本当によく見る家庭で、『家族で映画を見る』という経験がすごく大切でした。両親が共働きだったのでなかなか時間が合わなかったけど、日曜日の夜だけは絶対に全員そろうから、みんなで映画を見る。そして次の日から頑張れる。家族の時間=映画みたいなところもあって。
だから、昔からよく大人の映画も見てきたし、いつしか憧れを抱くようになって、『自分だったらこうするのに』『自分もできそう』って調子に乗って思ったんですね(笑)。お父さんは、いろんな感情を知ってほしくて映画を見せてくれていたと思うんですけど、それが分かってくればくるほど、『こうしたい』『ああしたい』というのが出てきました」
――8歳から19歳まで続けたダンスよりも、女優の夢への思いが勝ったのですね。
「ダンスではもう何年もチャレンジし続けて、本当にしんどい思いをしながらやってきた上で『この先ダンスではご飯を食べていけない』と感じたんです。そこからまだチャレンジしていない映画や女優を仕事にしたいと思うようになりました。結局、私も今年で8年目になるのですが、それでも諦めていない。職業にするには、ダンスよりは最適だったのかもしれないですね」
――これまでのキャリアの中で、諦めそうになったことはあったのでしょうか。
「4年くらい前、しんどくなってしまって、『ちょっと逃げよう』と大阪の実家に帰ってしまったことがありました。泣きながら、言葉にならない言葉でお父さんとお母さんに思いをぶつけて、でも『自由に決めればいい』『帰ってくる場所はあるし、でもゆり菜が頑張りたいなら俺たちは応援するだけ』というスタンスでいてくれて。それで『頑張る』と言いながら戻ってきて。
そんな時に、映画のヒロインの役が決まったんです。毎日のように現場に出向く中で、どんどん心が元気になってきて。台本と向き合う時間にも、心に栄養がたくさんいって、すっかり元気になっちゃったんですよ。だから、映画に救われたという思いがあって。全然眠れなくてつらい日があったとしても、すごく楽しかった。逃げたいという気持ちは一切なくなって、『やっぱりここで頑張ろう』って。仕事でつらかったけど、仕事で救われました」
――ご両親の言葉も大きいですね。
「私が勝手に言い出して芸能界に入って、10代のうちに東京に出てきちゃって……という形だったので、両親からしたら正直寂しかっただろうし、しかもグラビアでデビューして、心配な部分もあったと思うんです。それでもそんなことを一切見せずに『自慢だよ』と言ってくれて。バラエティーやドラマ、映画に出るたびに姿を見せることができるから、自分ももっと頑張れました。なかなか帰れないからこそ、家族に見てもらう機会はどんどん作りたいです。
それで、SNSもちゃんと更新するようになったんです。お母さんから『全然更新しないじゃん』と言われていたんですが、『どういうことをやっているよ』『今の顔色はこんな感じだよ』と遠回しに伝えながら、いろんな人にもつながることができる。苦手ですが、頑張って更新しています!」