十三回忌を迎える三沢光晴さん 結婚スクープの記者が回顧する波瀾万丈の人生
2009年に亡くなった三沢光晴さんの十三回忌(6月13日)を前に「メモリアル大会~Forever in our hearts~」(5月31日、東京・後楽園ホール)が行われた。
「大丈夫なの?」体調案ずる声に…
2009年に亡くなった三沢光晴さんの十三回忌(6月13日)を前に「メモリアル大会~Forever in our hearts~」(5月31日、東京・後楽園ホール)が行われた。
三沢さんの入場テーマ曲が流れ、武藤敬司、丸藤正道が三沢さんへの想いを語り、三沢さんの勇姿がスクリーンに映し出された。その度に大きな拍手が巻き起こる。すぐそこに三沢さんが一緒にいる気がしたのは私だけではあるまい。
リング上で倒れ、そのまま亡くなる。何とも悲しい出来事だったが、「伝説の男」三沢光晴は永遠に語り継がれる。
実際、三沢さんの話は今でもよく出る。リング上もリング外も魅力的な人物だった。「あの命知らずのファイトは、すごかった」「男気あふれる人だった」「先輩には気配りし、後輩には優しかった」「下ネタ話をよくしていた」…三沢さんが好きだったグレープフルーツサワー、眞露のウーロン割りを献杯しながら、話題には事欠かない。
1988年の私の結婚式で、お祝いのコメントを求められると、大きな声で「いつも楽しみに読んでいます…みこすり半劇場」とやって、大爆笑を呼び込んだ。馬場さん夫妻や鶴田さんも笑顔だった。阿修羅・原さんも、永源遥さん、冬木弘道さん、仲田龍さんもニコニコしていた。天国で馬場さんたちと現在のプロレス界について、語り合っているのかな。
その半年前に、三沢さんの結婚をスクープしたが、当時は2代目タイガーマスクとして活躍。正体不明のマスクマンで人気者だった。秘密裏に結婚話を進めるというプランもあったようだが、さまざまなメディアが周囲を探っていたのも事実。三沢さんは「任せるよ」と、あつれきを承知の上でゴーサインを出してくれた。
亡くなる数年前からは、私の顔を見るなり「何しに来たの?」が定番だった。そこから何やかやと、プロレスの話、女性の話、お酒の話をしたものだ。ところが、5月の日本武道館大会の控室では、疲れ切った顔で座り込んでいた。顔色もすぐれない。いつものセリフもなく、生返事ばかり。すでに体調は悪かったのだろう。「大丈夫なの?」「ああ」が最後のやり取りとなった。
三沢さんはレスラーの現役引退後のことをよく考えていた。実は、亡くなる1年ほど前から、自身も引退を考えていた。ジムや飲食店を開き、仲間たちと一緒になって、楽しくやっていくプランを描いていた。親分肌の三沢さんは常に周囲の人たちのことも視野に入れていたのだ。
波瀾(はらん)万丈の人生だった。全日本プロレスに入門した頃には、ノア旗揚げなど考えられなかっただろう。予想を上回る多くの仲間がついてきたのも、想定外だっただろう。それでも、三沢さんはすべてを受け入れ、飲み込んで道を切り開いて来た。まさに度量の大きい人間だった。
三沢さんが命をかけて盛り上げたノアは、紆余曲折を経て、設立21年目を迎えている。十三回忌当日も「三沢光晴メモリアルマッチ~この日を忘れない~」無観客大会を配信。コロナ禍でさまざまな新たなチャレンジに取り組んでいる。
対戦カードは当日発表となるが、丸藤は「三沢さんは重いことは好きじゃなかった。明るくいく」と、それこそ笑みを浮かべていた。三沢さん、あなたの愛したノアは、前へ進んでいます。