橋田壽賀子さん「目指しなさい大根役者」 駆け出しの役者だった山田雅人を育てた手紙
話芸家の山田雅人が、40年のキャリアで出会ったさまざまな人々から受け継いだ「心に残る言葉」を紹介する「山田雅人のことば」。今回は俳優・山田の育ての親のひとりで4月4日に亡くなった脚本家・橋田壽賀子さんからいただいた大切な言葉を紹介する。
駆け出しの役者が渡鬼に10年間出演できた理由【山田雅人のことば#2】
話芸家の山田雅人が、40年のキャリアで出会ったさまざまな人々から受け継いだ「心に残る言葉」を紹介する「山田雅人のことば」。今回は俳優・山田の育ての親のひとりで4月4日に亡くなった脚本家・橋田壽賀子さんからいただいた大切な言葉を紹介する。(取材・構成=福嶋剛)
こんにちは、山田雅人です。今回は、橋田壽賀子先生からいただいた大切な「ことば」を紹介します。
僕は「渡る世間は鬼ばかり」というドラマに10年間で約250本出演させていただきました(※)。当時まだ役者として不慣れだった僕は、板前さんの役が決まったとき、まともに包丁を握ったことがなかったんです。そんな中で大根の“桂むき”をしなくてはいけないのですが、これがまた本当に苦手でした。
そんな僕を見て、橋田壽賀子先生がクランクイン前に自宅に大根を毎月送ってくださったんです。そこにはお手紙が添えられていて「目をつぶっても桂むきができるようになりなさい」って書いてあったんです。続けて「指が怖いからといって下を向いたまま桂むきをしていたら演技ができません。他の役者さんがしゃべっているときに顔さえ前を向いていれば山田さんが映りますから」と書いてくださっていたんです。
そしてお手紙の最後に「目指しなさい大根役者(大根というのはいろんなお料理に添えられているよ)」って書いてありました。お魚にもお肉にも添えられている大根のような。そういう役者さんになりなさいと教えてくださったんですね。
その言葉をいただいてから、いっそう気持ちが入り、毎日一生懸命桂むきを練習しました。そうしてようやくクランク目前に目をつぶっても桂むきができるようになったんです。
それからパーティーで橋田先生にお会いしたとき「ちゃんと前を向いて桂むきができているわね」って声をかけてくださったんです。すごくうれしかったですね。おかげさまで250本もの作品に出演させていただくことができました。
そしてもう1つ。プロデューサーの石井ふく子先生がいつも僕たちにおっしゃっていた言葉がありました。「私たちの台本は橋田壽賀子先生が書いてくださっている私たちへの“ラブレター”なんです。そしてその作品を演じること、ドラマを放送することが、橋田先生へのラブレターのお返事なんです」と。
僕もそういう思いでせりふを覚えて演じました。するとまたパーティーで橋田先生にお会いするといつも「ラブレターのお返事ありがとう」っておっしゃってくれるんです。うれしかったですね。
そんな大切なドラマに出演させていただいたことは今でも僕の誇りです。
橋田壽賀子先生、ありがとうございました。
(※)山田は同作の第4シリーズ(1998年)から第8シリーズ(2007年)までお食事処「おかくら」の2代目板前・大川(旧・宮部)勉役として出演した。
□山田雅人(やまだ・まさと)話芸家・タレント・俳優。1961年1月22日、大阪市大正区出身。落語でも漫談でも一人芝居でもないマイク1本とスポットライト1つの独自の話芸「かたり」の世界。スポーツ選手、映画、人物、名勝負など取材を重ね、隠れた人間ドラマの感動をマイク1本で語る。3月にようやくツイッターをスタート。ABCラジオ「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」(月~木、午前9時、山田は毎週火曜出演)放送中。テレビ朝日系「お笑い実力刃」(毎週水曜、午後11時15分)に6月2日のゲストとして講談師の神田伯山とゲスト出演。
■ツイッター:https://twitter.com/tenpointo3155
■連載【山田雅人のことば】
#1:田中邦衛さんの大切な黒いカバン
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■インタビュー
○山田雅人は話芸家として活躍中 キャリア40年の原点を激白
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○山田雅人「渡る世間は鬼ばかり」藤岡琢也さん相手に楽屋で磨いた“話術”
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