2作連続オリコン1位“グラビアもできる演歌歌手”望月琉叶が自分の水着姿見て思うこと
生命保険会社の就職内定蹴ってアイドルに
母が演歌歌手になるのが夢で、本格的に目指したらしいんです。でも、かなわなくて、私は小さい頃から「音楽で食べていってほしい」と言われていました。無理やりじゃなく、私も音楽は大好きなので。とくに昭和歌謡や演歌は小さい頃からよく聞いていて、なじみがあって好きでしたね。ウチは両親が家で美容室を経営しているので、そこでいつも有線を流していたんです。小学生の頃とかは、学校から帰ると両親が働いている美容室へ入っていって、お手伝いをしながら聞いていました。
高校1年から、オーディションを受け始めました。でも、合格してみると、ソロ歌手じゃなくて「アイドルグループでどうか」と言われることが多く、「違うな」と感じて活動はしていませんでした。大学4年の夏になって、もう生命保険会社への就職内定もいただいていたんですけど、代官山でお友達の誕生日プレゼントを探していたらスカウトされ、「やってみよう」と。今、10人組アイドルグループ「民族ハッピー組」で活動しているんですけど、当時のグループ名は「演歌女子ルピナス組」といって“演歌を世界へ”という世界観をもっていて、そこにひかれました。それで、アイドルグループではありましたけど、メンバーに加わりました。
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