デビュー50周年の「ドラゴン」藤波辰爾 波乱万丈のスター人生を振り返る

「ドラゴン」藤波辰爾が5月9日、レスラーデビュー50周年を迎える。16歳で日本プロレス入り。故郷・大分県の先輩を頼っての押しかけ入門だったが、猪木の新日本プロレス設立に加わった。

息子LEONA(右)との親子タッグも楽しみな藤波辰爾【写真:柴田惣一】
息子LEONA(右)との親子タッグも楽しみな藤波辰爾【写真:柴田惣一】

ニューヨークからの凱旋帰国で一気にスター街道を駆け上がった藤波

「ドラゴン」藤波辰爾が5月9日、レスラーデビュー50周年を迎える。16歳で日本プロレス入り。故郷・大分県の先輩を頼っての押しかけ入門だったが、猪木の新日本プロレス設立に加わった。

 1978年のニューヨークからの凱旋帰国で一気にスター街道を駆け上る。WWWFジュニアヘビー級ベルトを腰に巻いて羽田空港に降り立った藤波を、黄色い声援が取り囲んだ。

 それまでのプロレス会場といえば、中高年の男性ファンが大半だった。端正な顔立ち、鍛え上げた肉体、24歳……当時のいかつさばかりが目立ったレスラー像を一変させた藤波は、多くの女性ファンをプロレスに引き込んだ。

 女子中高生や若いOL。華やかな洋服で、試合会場の色彩がパッと鮮やかになった。遠くまで観戦に行く「追っかけファン」も出現。ファンクラブがいくつも設立され、垂れ幕やコールなど応援合戦に華が咲いた。

 ゴールドの外車・カマロをさっそうと乗りこなし、アラミスの香水をまとい、胸元の空いたシャツをおしゃれに着こなす姿は、いかにも外国帰りという格好良さ。「マッチョ・ドラゴン」などのレコードも発売。当時、男子レスラーがレコードを発売するのは画期的だった。数々の女性誌にも取り上げられ、その人気はすさまじかった。

 初代タイガーマスクの登場もあって、ヘビー級転身も果たし、82年にスタートした長州力との名勝負数え唄で、またまた旋風を呼び込んだ。地上波ゴールデンタイム(金曜午後8時)に基本、生中継で放送されていた「ワールドプロレスリング」は驚異的な視聴率を誇り、テレビ朝日から特別表彰されるほどの人気を誇った。

 その後、腰痛に苦しんだ時期もあったが、99年には新日本プロレスの社長に就任するなどリング内外で活躍。2006年には新日本を退社し、その後もさまざまな団体のリングで活躍してきた。

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