【ズバリ!近況】“浅ヤン”で活躍した中国料理人・金萬福さんは紆余曲折の末、宇都宮のホテルに勤務

金萬福は本名。香港でも珍しい名前だそうだ
金萬福は本名。香港でも珍しい名前だそうだ

「浅草橋ヤング用品店」の過酷ロケは「楽しかった」

 “浅ヤン(浅草橋ヤング洋品店)”出始めたとき、新横浜プリンスホテルで総料理長やってたけど、プリンスホテルはアルバイトはダメだから、「もしテレビに出たいなら辞めてください」と言われた。それでホテル辞めた。“浅ヤン”の仕事、ほんと大変だったけど、楽しかったから。死んじゃうんじゃないかと思うほどめちゃめちゃ危ないことやったし、26時間寝ずに撮影もあった。撮影終わった後はいつも、身体ボロボロだったよ(笑)。

 一番キツかったのは、クレーンに吊るされて麺を茹でたロケね(笑)。後から思うと、よくやった。まだ30代で体力があったから、何でもやってみたかった。「やってみよう!」って心の中で火が燃えてたね。だって、料理人がバラエティに出られるチャンスってそんなにないから。一生懸命やったよ。ケガはしたことない。テレビに出て、みんなに自分のこと知ってもらえて嬉しかった。収入は1年で5000万円のとき、あったよ。

だまされて借金を背負った時期も

 でも、香港とか赤坂で中国料理店を一緒にやった人に何千万円もだまされて、宇都宮に来たときは、借金がまだ少しあったよ。もう全部返したけどね。人生いろいろあるね。しかたない。でも、ボクをだました人は、赤坂の店に来た、ボクへのテレビの仕事の依頼を勝手に断ってたよ。変でしょ。たぶん、嫉妬もあった。お金より、勝手に仕事断られたことが不満だったね。

 テレビの仕事、またやりたいね。今、「竹園」の仕事あるからスケジュールなかなか合わない。でも、ときどきやってるよ。友達のおぎやはぎのラジオ番組とかね。この前、江頭2:50のライブにもゲストで出たよ。江頭は“浅ヤン”の時からの悪友(笑)。ギャラは交通費で終わりだけど、それでもやる。友達だから、お金、関係ない。

香港に残してきた家族は…

 香港には3年半ぐらい帰ってない。去年の8月、帰ろうと思ったけど、デモがすごいからやめた。香港にはお兄さんたち、奥さん、娘、息子、孫も3人いて、奥さんは10年ぐらい前からずっと「帰ってきて」と言ってる。でも、帰ったらまた仕事、ゼロからだから、日本で仕事したほうがいいね。日本の居酒屋とか洋服も好きで、日本が合ってるし。奥さんと息子は香港では知られた家具会社で働いてるよ。奥さんは会社のトップですよ。

 家族とは毎日のようにLINEでやりとりしてる。香港のデモは大丈夫って言ってるから、心配してない。日本長くなって、1人暮らし慣れてるから、寂しくもない。毎日、夜中3時くらいまでテレビとかユーチューブ見てるよ。香港、台湾のニュース、映画、日本のバラエティ、ボクシングとか格闘技も大好きね。自炊? 面倒くさいよ~、パン買う、カップラーメン食べる、で、じゅうぶんね(笑)。

〇金萬福(きん・まんぷく)1954年4月24日、香港で農家の三男に生まれた。叔父の誘いで14歳の時、料理の世界に入り、23歳で香港の「鳳凰酒楼」料理長に。1988年、単身来日。甲府富士屋ホテル、新横浜プリンスホテル料理長に。1992年、バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)に出演し人気獲得。2007年から宇都宮東武ホテルグランデの中国料理「竹園」総料理長を務める。

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