足利市内完走! “幻の金メダリスト”谷津嘉章、義足で聖火ランナーの務め果たした思い

プロレスラー・谷津嘉章(64)が28日午前、義足の東京五輪聖火ランナーとして無事、走りきった。2019年6月、右脚を膝下7センチのところで切断する大手術を受けたが、壮絶な痛みと苦しみを乗り越え、リハビリとトレーニングを重ね、義足で走れるまでに復活。新型コロナウイルス禍による1年延期にも耐えた。

東京五輪聖火ランナーを務めた谷津嘉章氏
東京五輪聖火ランナーを務めた谷津嘉章氏

2年前の右脚切断、コロナ禍を乗り越え目標達成!

 プロレスラー・谷津嘉章(64)が28日午前、義足の東京五輪聖火ランナーとして無事、走りきった。2019年6月、右脚を膝下7センチのところで切断する大手術を受けたが、壮絶な痛みと苦しみを乗り越え、リハビリとトレーニングを重ね、義足で走れるまでに復活。新型コロナウイルス禍による1年延期にも耐えた。

「自分は足利市内の第9走者で、史跡足利学校入徳門前から“小京都”のような町並みの中を走りました。硬い石畳の上を走るのは義足だと厳しく、走る前は『うまく走れるか』と不安もありましたが、走り始めると『ようやく走れた』という喜びやここまで支えてくれた関係者への感謝で万感迫る複雑な思いでしたね。一生懸命笑顔をつくって一歩一歩踏みしめて走り、終わった今はアッという間だった、という感じです」

 五輪に対しては特別な思いがある。1976年、レスリング日本代表としてモントリオール五輪に出場し8位に。しかし、脂ののった80年のモスクワ五輪は、日本のボイコットで出場がかなわず“幻の金メダリスト”といわれた。

 同年にレスリングを引退しプロレスラーに転向。活躍したが、35歳から“予備軍”だった糖尿病による壊疽(えそ)で右足を切断。衝撃を乗り越えられたのは、聖火ランナーとして走る、という目標をもったからだった。足利大学附属高校出身であることから栃木県の聖火ランナーに立候補し選ばれた。

「五輪マークを付けたユニホームに公式の場で袖を通したのは44年ぶり。聖火ランナーとして走りきったことで、五輪への未練は無くなりサッパリしました。走っているときは夢中で分かりませんでしたが、右脚に少し痛みが出てきたので、このケアをしっかりして、次は義足のプロレスラーとして再出発するのが目標です」
 
 これからも不運に負けず、多くの人に夢を与えてほしい。

次のページへ (2/2) 【写真】義足で聖火ランナーを務めた谷津嘉章さんが実際に走る姿
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