【気になる人】「羽鳥慎一モーニングショー」イケメン気象予報士はなぜストレッチしているのか?

父親の励ましを胸にがむしゃらに勉強したと語った【写真:山口比佐夫】
父親の励ましを胸にがむしゃらに勉強したと語った【写真:山口比佐夫】

「人の役に立ちたい」と気象予報士に挑戦を決意

 片岡さんは2019年、気象予報士試験に合格。翌年、「羽鳥慎一モーニングショー」に抜擢された。しかし、もともとは俳優。なぜ気象予報士に?

「地震など災害があると、ドラマや映画の撮影や公開が延期になります。僕らは何もできなくなって、家でただボーッとするしかなく虚しい。『僕らの仕事は平和で安全じゃないと成り立たないんだな』と痛感していました。20代後半から『僕も何か人の役に立ちたい』と考え始め、“伝える”という意味では同じだ、と気象予報士に興味をもちました」

 しかし、気象予報士の試験は合格率が4~5%と難易度が高い。片岡さんも苦戦した。

「気象予報士の資格を取るための勉強って、熱力学など物理なんです。僕は文系だったので、最初はテキストを1ページ開いただけで、まったく意味がわからずすぐに閉じてしまいました。そのまま奥にしまってしばらく放置していましたが、その後も災害が続き、『役に立ちたい』という気持ちは変わりませんでした。それで30歳過ぎで意を決して、本気で取り組み始めました。通信講座を始め、ネットの動画で専門用語の解説を聞いたり、塾に通ったり。塾では先生に質問しまくっていましたね」

父のおかげでがむしゃらにがんばれた

 受験勉強中はそれまでの人生で最も苦しかったという。

「父が当時、入院することに。僕は両親と兄の4人家族で、父の看病は主に母がしていたのですが、入院が長引くにつれ母の疲労がたまり、替わりに僕が泊まりで付き添っていました。当時の僕は俳優の仕事をセーブし勉強していただけだったので。でも、病室で単語カードを開いても看病で集中できず、何者でもない自分――役者の仕事もせず、目の前で苦しむ父親を助けられず、ただ単に単語カードを繰ってるだけの自分が不甲斐なくて。先の見えない不安も大きかったですね」

 父親は片岡さんが試験に合格する前年の2018年、逝去。気象予報士としての姿を見せることはかなわなかった。

「父が病と闘いながらがんばって働いてくれたおかげで、僕ら家族は何不自由なく幸せに暮らしてこられました。僕の仕事については何も言わない父でしたが、『気象予報士になる勉強を始めるよ』と告げたときは『それは本当に良いことだ。がんばれ』と応援してくれました。だから、悲しくてもちゃんとゴールしよう、と。がむしゃらにがんばれたのは父のおかげ。合格後、父がずっと見ていた羽鳥さんの朝の情報番組に起用され、縁を感じましたね。少しは親孝行できたかな、と思っています」

(後編につづく)

□片岡信和(かたおか・しんわ)1985年7月30日、東京都出身。中央大学総合政策学部3年のとき、オーディション情報誌を見て応募し芸能界入り。2008年、「炎神戦隊ゴーオンジャー」(テレビ朝日系)で本格的に俳優デビュー。15年、作詞作曲して制作したミニアルバム「birth」(Bellwood Records)をリリースしCDデビュー。19年、第51回気象予報士試験合格。20年春から朝の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)のお天気キャスターに。21年3月17日、著書「かたおか気象予報士の毎朝10秒! 楽しく『お天気ストレッチ』」(幻冬舎)発売。https://www.amazon.co.jp/dp/4344037642

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