被災地に届けた62台のピアノ 西村由紀江が忘れられない少女の言葉 「#あれから私は」
ピアノの音色がとかしてくれた張り詰めた気持ち
――最初に届けたのは岩手県山田町の当時中学3年生の女の子と男の子のお宅でしたね。その時のことはHPに詳細に記されています。
「そうですね。2件とも電子ピアノを希望されて届けました。予め準備してあったアップライトピアノもあったので、最初はなぜだろう?と思いましたが、まだ大変な思いで生活しているご近所の皆さんへの音漏れの配慮だと聞かされて、ハッと気付かされました」
――ピアノはいつもどのように届けているのでしょう?
「まず初めに譲っていただいたピアノを調律師さんの工房でメンテナンスをして、トラックで現地まで運びます。私は先にお届けするお宅にうかがい、到着するまでピアノとの思い出などお話をうかがい、調律が終ると“弾き初め”をしてお相手の方にお渡しするんです。これは1台目をお届けした時に『もしよかったら、弾きましょうか?』と弾かせてもらったらとても喜んでいただいたことがきっかけです。多いときは1日で3、4件のお家にお届けするのですが、移動の途中にあったはずの道路がなくなっていたり、想定外なこともたくさんありました。でも皆さん、本当に温かく迎えていただきました」
――HPのレポートに目を通していくと、どれ1つ重なることのない62通りのピアノと人をつなぐ記録がつづられています。
「おっしゃる通りです。受け入れてくださるご家庭もさまざまで。特にはじめの頃は私も受け入れてくださるご家庭も緊張感がありましたが、ピアノを弾くと、ふとその瞬間に自然と1つになれる空気感が生まれるんです」
――震災で失ったものや、被災された方々の思いを西村さんの真摯な活動記録が改めて教えてくれました。ぜひ読者のみなさんにも読んでいただきたいです。
「印象に残っているのは、娘のためにピアノを届けてほしいと声をかけてくれたお母さんがいて、はじめは気を遣って『私はあまり興味がないから』と弾き初めの時に部屋を出ようとされたんです。それでせっかくだからと引き留めて、娘さんと一緒に聞いてもらったんですが、先にお母さんの目から涙が流れたんです。その後、とてもきれいな笑顔で『なんか泣いてすごくすっきりした。ありがとう』って。きっとこれまでずっと気丈に振る舞って張り詰めていた気持ちを、ピアノの音色がとかしてくれたのかなって。改めてピアノの音色の力。ピアノが人と人の心をつなぐことが出来ることを実感した瞬間でした」
――「Smile Piano 500」は被災地で失ったピアノ500台を届けるという活動ですが、西村さんもこの10年間で62台のピアノを各ご家庭に届けてきました。
「失われた500台のうち、多くは学校などの公共施設であって、そのほとんどはいろんな団体や国の補助などで早々に戻っています。私はそういった支援の対象にならないような一般家庭にお届けしてきましたが、今も私のラジオやHPを通して呼びかけているのですが、この1年間新たに欲しいという声はありません」
――ということはほぼ目標は達成されたわけですね。
「そうですね。ピアノを求めている方にはほぼ行き渡ったったのではと思っています。今度は心の復興というか、震災前から続けている全国の学校や病院で子どもたちにピアノの演奏を届けたり、誰もがピアノを楽しく弾けるような曲を書いてオンラインレッスンで楽しんでもらったり、新しいことを始めています」