【ズバリ!近況】恋愛、父の大病…香港戻ったチューヤン「少し疲れた」笑顔求め、Twitterで朋友と同じ290日の「旅」に

日本には良い思い出がたくさんある【写真:チューヤン提供】
日本には良い思い出がたくさんある【写真:チューヤン提供】

「電波少年」ではキャラや会話を打ち合わせ

「進ぬ!電波少年」でアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクの旅をしたときは、最初、日本語が全然分からなかったけど、ちょっと分かってきてからは、夜寝る前に伊藤君と明日どんなリアクションしようか、って打ち合わせしたね(笑)。「明日、『パンを買う』って言ってね」とか、僕が甘えたことを言って、伊藤君がダメ出しする感じにしよう、とか。2人で話して決めたけど、結局どっちかが決めたことを忘れたりして、めちゃ楽しかった~(笑)。でもね! ケンカは全部ホンモノだったよ(笑)!

 たとえば、同行ディレクターがタバコを吸わず、僕らがタバコを吸うのを良く思わなかったから、僕たちは内緒で、毎日2人で1本のタバコを分けて吸っていた。ある朝、伊藤君が吸っている間、僕はディレクターが戻ってこないようにちゃんと見張っていたのに、その間に伊藤君が3分の2まで吸ってしまった! 僕、めっちゃ怒ったよ!! そんな感じで毎日ケンカしていたね(笑)。

日本での一番の思い出は松本明子が会いに来たこと

 日本での一番の思い出は、「電波少年」シリーズの最終回でも話をした。アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクの真っ最中、今、アフリカのどこにいるとか、正確な場所も分からない状況で、明子さんが日本からたった1人で、あちこち探しながら僕たちを追っかけてきてくれたこと。僕がファンだった久保田利伸さんが、僕たちのために作ってくれた歌「AHHHHH!」のCDとプレーヤーを持って来てくれたの!

 そのときに、僕は初めて明子さんに会ったよ。ずっと声しか聞いてなかったから、それが初めてだった。明子さんは僕たちを見つけて、わーってたくさん泣いてた。遠く遠く離れた日本から僕たちに会いに来てくれたこと、それで、実際に会えたこと、泣いてくれたこと。全部本当にうれしかった。今でもそのことを思い出すと泣けちゃう……(涙)。

疲れて弱い自分「何かやらなきゃ」ツイッター開始

 去年、日本や香港のみんなと同じで、僕もちょっと疲れて弱い自分になっちゃった。それで、僕もみんなも笑顔になれるように「何かやらなきゃ」と思って、20年12月12日にツイッターを始めた。香港ではツイッターは流行ってなくて興味なかったんだけど、日本のみんなと日本語を話したいな、日本語で話したらこのツラい状況を乗り越えられるかなって考えた。毎日更新して、もらったコメントは全部読んで、一言でも返すと決めた。やってみると、これは結構、大変(笑)。だけど、僕が文章の締めの言葉として作った「つつく」という言葉を、コメントの最後に付けて送ってくれる人が増えた。うれしいね。「つつく」は正式な日本語でも、広東語でも英語でもない言葉だから、みんなとの絆を感じる。

 僕のツイッターは、朋友が旅したのと同じ290日で終わらせる。このツイッターを始めたことで出会えた人たちがいるよ。僕を助けてくれたり、応援してくれたり、フォロワーさん同士が仲良しになったりしてる。小さな奇跡が起きている。友達がつながって広がっていく感じ。“朋友の輪”! 僕は、この小さな奇跡――朋友の輪を重ねながら、今の僕――21年のチューヤンとして成し遂げたいなと思っていることがあります。楽しみにしててネ! つつく!

□チューヤン 1972年8月4日、香港生まれ。本名:謝昭仁(チェ・チューヤン)。デザイン専門学校を卒業後、香港でグラフィックデザイナーをやりながら多数のラジオ番組で人気DJに。98年、人気バラエティ番組「進ぬ!電波少年」(日本テレビ系)のオーディションを受け合格。俳優の伊藤高史と「朋友(パンヤオ)」を結成し、アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイクの旅を成功させた後、「進ぬ!電波少年」「雷波少年」(日本テレビ系)の司会などバラエティー番組で活躍。05年、引退し帰国。現在、制作プロダクション「KCM PRODUCTIONS」で顧問を務める。

この記事はENCOUNTとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。

次のページへ (4/5) 【動画】チューヤン自身が撮影しナレーションを入れた現在の香港の様子
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