【プロレスこの一年 ♯35】大揺れの新日本 長州離脱で全日本登場、タイガーがUWFで復帰 1984年のプロレス
猪木率いる正規軍と長州の維新軍による抗争が激化
新日本では2・7蔵前でWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦の決勝戦が行われ、優勝争いはザ・コブラ、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスの三つ巴に。最後はキッドが制し、藤波、タイガーから奪えなかった悲願のベルトを奪取、感動的シーンを作り上げた。
前年に新日本を退社した元営業本部長の新間寿が前田日明とともに渡米。前田は3月25日、ニューヨークのマジソンスクエアガーデンに登場し、新設WWFインターナショナルヘビー級王座を戴冠するとともに、新団体UWFへの移籍を宣言。4月1日には発足会見が行われ、UWFは11日に大宮スケートセンターで旗揚げ戦。旗揚げシリーズのポスターには「私はプロレス界に万里の長城を築く」とのコピーとともにマイクを手にする新間の写真が中央に配置され、ハルク・ホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアントなど新日本のトップ外国人レスラーが名を連ねていた。しかし、彼らがUWFに参加することはなく、旗揚げ戦のメインは前田VSダッチ・マンテルという地味なカードに。シリーズ最終戦の4・17蔵前では新日本から藤原が参戦し、前田と両者KOの引き分け。噂されたアントニオ猪木の登場もなく、新間は5月21日に最高顧問を辞任する。
新日本では、猪木率いる正規軍と長州の維新軍による抗争が激化。4・19蔵前では5対5勝ち抜き戦が実現し、最後は猪木が長州を破る形で新日正規軍の勝利となった。6月14日の蔵前では「’84IWGP」の決勝戦が行われ、前年に引き続き猪木VSホーガンに。“舌出し事件”の雪辱を期した猪木だが、長州が乱入し試合をぶち壊す。リングアウト勝ちによりなんとか優勝をもぎ取った猪木だが、この決着に納得いかない観客の怒りが爆発、暴動騒ぎとなってしまった。
6月22日、全日本が新日本プロレス興行との提携を発表した。新日本興行は前年に新日本を退社した大塚直樹が設立した、文字通り新日本の興行を手がける営業の会社だった。が、全日本8・26田園コロシアムを新日本興行が手がけたことからジャイアント馬場と急接近。新日本興行は新日本から離れるにとどまらず、選手の引き抜きを宣言、新日本興行所属レスラーが全日本に参戦する形になっていく。田コロでは2代目タイガーマスクがラ・フィエラを破って颯爽デビュー。新日本で一世を風靡したキャラクターが(選手を替えながらも)全日本マットに上がれたのも、新日本興行との関係からだった。
“オリジナル”タイガーの佐山は、7月23日&24日後楽園でのUWF「無限大記念日」にザ・タイガーとして参戦。実に354日ぶりのリング復帰だった。タイガーは8月4日に山崎とともにUWF入団。先に入団していた藤原、高田延彦らと合流した。佐山タイガーは8月29日より、スーパー・タイガーを名乗るようになる。