【プロレスこの一年 ♯35】大揺れの新日本 長州離脱で全日本登場、タイガーがUWFで復帰 1984年のプロレス
今から37年前の1984年2月、プロレス界は各団体で大事件が勃発した。それはやがて、1本の線で結ばれたがごとくにつながっていくことになる。まずは、きっかけとも言える2月の出来事について振り返ってみよう。
鶴田が日本人初のAWA世界ヘビー級王者に
今から37年前の1984年2月、プロレス界は各団体で大事件が勃発した。それはやがて、1本の線で結ばれたがごとくにつながっていくことになる。まずは、きっかけとも言える2月の出来事について振り返ってみよう。
新日本の2・3雪の札幌では、藤波辰巳VS長州力のWWFインターナショナルヘビー級選手権試合が組まれるも、入場時の長州を藤原喜明が襲撃。藤波はリングに立ちつくし、維新軍のアニマル浜口が怒号を張り上げるも、試合は不成立。藤波は「こんな会社やめてやる!」との言葉を残し、コスチューム姿のまま会場をあとにした。“名勝負数え歌”がぶち壊される一方で、これまで前座でくすぶっていた藤原が、テロリストとして一気に注目を浴びることになる。
2月11日には、前年8月に突如新日本に辞表を提出し引退したタイガーマスクが東京・瀬田に「スーパータイガージム」をオープン。かねてから夢見ていた格闘技への道を歩むべく、新たな一歩を踏み出した。ジムには新日本を退団した山崎一夫がインストラクターとして参画。格闘技道場としてスタートしたタイガージムだが、世間の目はタイガーとプロレスを切り離すことを許さなかった。タイガーの正体、佐山サトルはプロレス界とは切れることはなく、直にプロレス団体との接点を持つようになる。
2月23日には全日本の蔵前国技館でジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルとのダブルタイトルマッチで勝利し、インターナショナルヘビー級王座の防衛とともに、日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座奪取の快挙を成し遂げてみせた。同大会ではデビッド・フォン・エリック急逝により空位となったUNヘビー級王座をリッキー・スティムボートとの決定戦を制した天龍源一郎が奪取。2・23蔵前は、鶴龍ツートップの時代が本格的に幕を開ける画期的な大会となった。
この年、日本マット界は激動の一年になった。前年のタイガーマスク引退とクーデター事件が尾を引き、新日本はさらなる激震に見舞われる。新団体UWFが旗揚げし、タイガーが格闘スタイルとともに参戦、復活した。全日本は新日本離脱組が大挙して押し寄せ、2代目タイガーマスクが誕生する。2月を起点とした激動の84年。その出来事をまとめてみる。