コロナを機に54歳で一流企業管理職から俳優へ 「若いADに怒鳴られても全然平気」なワケ
新型コロナウイルス禍で仕事が思うようにできなくなり、引退を考えたり、アルバイトを始めたりしている芸能人も少なくないなか、2020年、54歳にしてその逆の道を選んだ人がいる。“俳優の卵”山田直樹さん(55)だ。一家の主でもある山田さんだが、ビールトップの「キリンビール」の部長職を捨て、俳優への道を進んだ。なぜそんな選択をしたのか。なぜ、そんな選択ができたのか。山田さんに聞いた。
一流企業の管理職のプレッシャーは大きかった
新型コロナウイルス禍で仕事が思うようにできなくなり、引退を考えたり、アルバイトを始めたりしている芸能人も少なくないなか、2020年、54歳にしてその逆の道を選んだ人がいる。“俳優の卵”山田直樹さん(55)だ。一家の主でもある山田さんだが、ビールトップの「キリンビール」の部長職を捨て、俳優への道を進んだ。なぜそんな選択をしたのか。なぜ、そんな選択ができたのか。山田さんに聞いた。(取材・構成=中野裕子)
「キリンビール」はもともと55歳で辞めるつもりでした。40歳を超えて昇格試験につまずき、出世が厳しくなりました。そして50歳のとき、会社でサラリーマン人生のラストランについて研修があり、この先の出世は望めないこと、57歳で役職離脱になれば平社員になって給料が激減することなどを告げられ、家族――同い年の嫁と29歳の1人息子に相談して決めました。嫁とは社内結婚だったので、私の仕事の苦労を理解してくれていたんです。
さらに去年、会社が“営業の大改革をして、これまでのやり方を一新する”という方針を打ち出し、早期退職希望者の枠を広げ、退職割増金を上積みし、55歳より前でも早期退職優遇制度を受けられることになりました。要はバブル期入社組を少しでも早く、多く減らしたい、ということだったんですね。それで、予定より1歳前倒しの54歳で、20年9月に退職しました。
私のように応募して早期退職した人は、多くはなかったですね。給料が半減しても60歳までがんばって会社にいたほうが、生涯年収は高くなりますから。でも、私の仕事は料飲店などのお客様が主体で、自分が窓口の責任者になって対応しなければならない。そのストレスやプレッシャーが大きかったうえ、これまでの営業経験を生かせなくなる、となると、違う方法で仕事をしなければならない。それはキツイなと思ったんです。会社を辞めて、今4か月になりますが、毎日充実してワクワクが止まりません!
コロナをきっかけに「まったく違う価値観で生きてみたい」
「キリンビール」を辞めた後も、最初は別の企業に再就職しようと、去年4月から再就職活動をしていました。ところが、新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が発せられ、思うような活動ができませんでした。新しい就職先を探しながら、自分が情熱を注いで取り組める仕事って何だろうと考えるうち、俳優の夢を思い出したんです。
幼い頃から人前に立つこと、目立つことが大好きで、学芸会や文化祭ではいつも主役を演じていました。小学生のときには、児童ドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」(TBS系)を見て児童劇団に応募しようとして、母親に「ダメ」と言われ諦めたこともありました。私の父は油絵を描く画家で、母は家計を助けるためにがんばっていたので、私が子役を始めたら「子供を働かせて食べている」と後ろ指をさされるから、と。中学からはバンド活動を始めボーカルを務めていました。音楽の道でプロになるのは無理、と途中で悟り、母の希望で就職しましたが、社会人になってからもずっと続けてきました。芸能の世界への夢が、私の中でずっとくすぶっていたのだと思います。
35歳頃までは仕事が面白くて夢中で働き、出世したいとも思っていました。でも、出世街道から外れ退社・再就職をしようとしたタイミングでコロナで経済が止まってしまった。そこで私自身もハタと立ち止まり、「どうせなら、サラリーマンとはまったく違う価値観で生きてみたい」と思ったんです。